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夫婦仲良く、お互いに白髪が生えるまで長生きしたいと多くの人が望んで結婚する。しかし、平均寿命が延び、医療の進歩で救命できるようになると長生きすることが悲しみを深める場合もある。
ケイは84歳で86歳になる夫のジョンと仲良く暮らしていた。2人とも高齢であるが、幸い身体障害もなく、買い物も家のこともすべて自分達でしていた。
ある日、ケイの足がおぼつかなくふらつくようになった。家庭医へ行き、その後、専門医のチェックを受け当院に入院する頃には、下半身が半麻痺状態だった。
診断は脊椎腫瘍ですぐ手術を受けたが、腫瘍は大きく取りきれず、術後は全身に麻痺が来た。それでも意識はしっかりしており、柔らかいものは食べることができた。予後は非常に悪く、一ヶ月もないといわれた。
気丈なケイは、涙を流すこともなく、一生懸命食べ、その日その日を生きようとしていた。疼痛コントロールをしっかりしてほしいという娘さんの希望で、緩和医療の専門医が呼ばれ、痛み止めの持続皮下注射が開始された。
ケイの状態は一週間で悪化し、ほとんど食べることができなくなりコミュニケーションも難しくなった。本人は一生懸命話そうとしているのだが、何を言っているのか聞き取ることができなかった。
安楽を保つための看護に重点が置かれ、清潔のケアと体位交換、そして疼痛コントロールに力を入れた。ケイはもともと細い人で、食べ物が食べられなくなり緩和ケアに力を入れてからは、数日から一週間の命と思われた。
しかし、ケイの苦しみは長引いた。休み明けで仕事に行くと、意味不明の「ウー、ウー」と言うケイのうなり声が聞こえていた。持続注射の量が追加され、プラス、追加の注射も加えてケイの安楽の保持に努めたが、ケイが時々うなるのを止めることはできなかった。
ケイの夫のジョンはいつも午前中に来て3時頃帰るということで、準夜勤務の多い私はなかなか会う機会がなかった。ある日、もうすぐ申し送りだというのに、いつも使う部屋のドアがしまっていた。どうしたことかとドアを開けるとそこにジョンがしょんぼりと座っていた。「大丈夫ですか?」と声をかけると、目に涙を溜めて大丈夫だといって部屋から出てきた。
その後、何度かジョンと顔を合わせた。ジョンにできることは妻のケイに氷片をあげることくらいだった。ケイの心臓は強かったようで、皆の予想を超して2週間以上も苦しんで他界した。ケイの死は休み開けに発見した。
それから3週間ほどたった土曜日の午後,準夜勤務のため病棟へ行こうとすると、ジョンが廊下の隅にたたずんでいた。声をかけると私に気付いたジョンは笑顔を見せた。
廊下を入って2つ目の部屋でケイは亡くなった。ジョンはその部屋を見るのが辛くて病棟に入ってくることができず、誰か知っている人が来るのを待っていたらしかった。「どうしていますか?」と聞くと、「あまり、適応できないでいる」といって涙を流した。
そして、看護スタッフに心から感謝していると言って、サンキューカードとお葬式に出した礼状を持ってきてくれた。そこには64年間の結婚生活だったと記されていた。
生涯の伴侶を亡くすことはいくつになっても悲しいことだ。その悲しみの深さは、本人にしかわからないし、比べることはできない。しかし、生活の向上と医療に進歩はより長く生きることを保証すると同時に、別れの悲しみを一層,辛くさせているのかもしれないと感じられずにいられなかった。