高齢者ケア特集(12)

最期は一人 続編1
2000年5月

68才のポールは退職後、毎日ジムに通い健康には気を使っていた。長身でスマートな体にシルバーグレーの髪の毛がふさふさしているポールは、とても68才には見えなかった。

その日もジムに行って一汗かいた後,脳卒中で倒れ脳外科のある当院へ運ばれてきた。くも膜下出血ですぐに手術となった。


術後、しばらく様態が思わしくなく、一時はもうだめかと思われたが、体力があったせいか次第に回復の兆しを見せてきた。嚥下麻痺が出て経口摂取が不可能なため、胃婁チューブが入りそこから栄養注入が始まった。

そして家族も希望を持ち始めた矢先、2度目の脳出血が起きた。意識不明となりもう助かる見込みはないといわれ、娘さんと奥さんが毎日来院するようになった。

寝たきりになったポールは、呼吸器感染を起こし熱が上がり、ゼイゼイと痰がたまり吸引も必要になった。主治医の脳外科医は、回復の見込みのないポールの感染に対し、抗生物質などの治療はしないという方針を出した。そして安楽を保つ看護に重点がおかれることになった。


その日、準夜で体位交換に行って、ポールの状態が随分悪化していることを知った。奥さんと娘さんが夜9時頃看護詰所に「そろそろ帰るのでよろしくお願いします。」と挨拶にやってきた。

ポールの状態が気になった私は「もし夜間に何かあったら連絡した方がいいですか?」と聞いた。ポールの娘さんは、アメリカ出張中にポールが倒れたと聞き慌てて飛んで帰ってきて、仕事を休んでずっと付いていた。奥さんもポールのことを随分心配していた。

しかし、娘さんはお母さんと「どうしようか?」と相談し、「どうせ来ても何も出来ないんだから,夜間は呼ばなくてもいいわね。」「早くて午前5時頃なら電話してもらってもいいわ。」と言い残して帰っていった。


今までも患者さんが亡くなっても夜間は連絡しなくてもいいと言う家族がいたが、たいていは姪や甥などの遠い親類で普段あまり近しくしていないが他に家族が誰もいないため、近親者として名前を出している場合が多かった。

そして奥さんや子供など近しい家族は、何時でもいいから連絡してほしいと言う人がほとんどだったので、ポールの家族の反応に、これが西洋の文化なのだとあらためて感心した。


その晩は何事もなく過ぎ、翌日、日勤でポールを受け持った私は、ポールの呼吸状態がますます悪化してしていて、もういつ呼吸が止まってもおかしくない状態だと思った。

ところが娘さんと奥さんはなかなか病棟にやって来なかった。「こんなに状態が悪いことはわかっているはずなのにどうしてまだ来ないのかな?」と気をもみながら二人が来るのを待った。

11時頃ようやくやってきてホッとする間もなく、奥さんが、今日はゴルフクラブの昼食会があるから出かけると話しているのを聞き、今、最愛の夫が息を引き取るかもしれないという時にゴルフクラブはないだろうと驚かずにいられなかった。

体力のあったポールは私達ナースの予想を上回り、それから4日後に亡くなった。休みだった私は家族がその場にいたのかどうか知らないが,本当にそれは西洋では重要なことではないのだと学んだ。




最期は一人 続編2

ジョーイは74才。脳卒中による右半身麻痺のためリハビリテーション目的で入院となった。精神的には全く呆けもなくしっかりしていたが、ナースコールを頻回に鳴らし、どんなケアをした後も「サンキュー」は言わず笑顔も見せたことがなかった。

尿意があっても看護婦を呼ばず、ぬらしてから呼んだり、憎まれ口ばかりきくので、多くの看護婦から倦厭されていた。理学療法士が来て行動拡大の訓練をしようにも本人にやる気がないため、改善が見られなかった。

そんな矢先、頻回に胸痛を訴えるようになり、狭心症ということでニトログリセリンを使っていたが、とうとう心筋梗塞を起こし、重症病棟(Critical Care Unit: CCU) に転送になった。


二人の息子さんはとてもお母さん思いで、メルボルンに住んでいたが週に1回は飛行機で会いににやってきていた。ジョーイは心筋梗塞が安定し一般病棟に戻ったが、数日後二度目の心筋梗塞発作で、再度CCUへ移った。

たまたま準夜でCCU勤務となり、ジョーイを受け持った。病棟で看護したことがあるので、お互い気心が知れていたし、ジョーイは少しずつ打ち解け、「サンキュー」と言ったり笑顔を見せるようになっていた。


その晩、メルボルンの息子さんから状態はどうかと電話が来たが、私はここ数日ジョーイの看護についていなかったので、CCU常勤でずっとジョーイのことを看ていたケイに電話を変わってもらった。

息子さんはジョーイの状態が心配で明後日またアデレードにやって来るが、その翌日アメリカに1ヶ月行く予定になっていると言う。

そしてケイにアメリカ行きを中止したほうがいいかどうか聞くために電話をしたのだった。電話を切ってからケイは私に「ジョーイがどうなるかは全く予測できないのだから、アメリカ行きを中止する必要はない、中止して待っていると何も起こらないものなのよ。もしアメリカへ行ってジョーイにもしものことがあったら戻ってくるしかないと言ってあげたわ。」と言った。

私ももちろんジョ−イの予後を言い当てることなどできないが、痩せ細って胸痛を繰り返すジジョーイがそんなに長生きできるとは思えなかった。私だったら「予後ばかりははっきりいうことは不可能だが、心配だったら行かないほうがいいのではないか」と言っていただろう。

ジョーイは翌日、状態が落ち着いたということで一般病棟へ移ったが、その3日後に亡くなったと聞いた。息子さんがアメリカへ行ったかどうかは知らないが、ケイの対応を見てもやはりオーストラリアでは「最期は一人」でという考え方が一般的なのだなと思った。



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