高齢者ケア特集(10)

シゲタのじいさん


99年11月

(この名前はもちろん仮名で、実は親友の名前を使いました。ごめんなさい、たけみちゃん!!)


日本でピチピチの看護婦一年目で初めて受け持った患者さんは78才のシゲタのじいさんだった。当時、日本の看護界ではまだ新しいプライマリ−・ナーシングを取り入れた病院で、完全受け持ち制だった。

つまり入院患者さん全員に受け持ちナースがつき、可能な限りその受持ちナースが自分の患者さんを看護し看護計画を立て評価するというものだ。


シゲタのじいさんは多発性脳梗塞による痴ほがひどくなり、奥さんが家で面倒見きれなくなって入院となった。看護婦となって初めて受け持つ患者さんだったので、多少緊張して挨拶に行った。

「上から見下ろさないで患者さんの目の高さまで自分の顔を下げて…」と教科書に書いてあった事を思い出しながら、「初めまして、今日から受け持ちになる看護婦です。」…と言ったか言わないうちに奥さんの「うちのじいちゃん、殴るから気をつけて。」と言う声を聞いたのと毛布の中からゲンコツが頭に飛んできたのが同時だった。

奥さんは「あらー、ごめんなさい。」と大声で私に謝ると「じいちゃん、看護婦さんを殴ったらだめでしょ。」と睨みつけた。これがシゲタのじいさんとの出会いだった。


初めての受持ち患者さんの看護計画だからいろいろ頭をしぼった。まずは失禁看護、清潔と安楽の保持、床ずれの防止…など教科書にそっていろいろあげた。

でもシゲタのじいさんにはどれも実行できず、水の泡だった。オムツはつけた先から引っ張ってはずしてベッド下に投げつける。床ずれ防止に2時間毎に体位を変えて、背中を枕で支えてもすぐズリズリと動いてはずし仰向けになってしまう。

朝、ゲンコツを避けながら一生懸命全身清拭をしてシーツを整えても15分もしないうちにすべてグチャグチャで、失禁ですでにシーツはぬれている…という状態だった。

2時間毎にシビンを当てて排尿習慣をつけるとか、食前・後にシビンを当てるとか考えられる範囲で色々なことを試みたがすべて成功しなかった。


ある朝、朝食後に大便をする習慣をつけようと、食事介助の後車椅子に乗せてトイレまでつれて行った。

シゲタのじいさんは昔の人にしては背が高かったがガリガリに痩せていた。そしてずっと床上生活だったため筋力が落ち、立ち上がることができなかった。

患者さんの意識がしっかりしていればリハビリテーションで筋力をつけるということも可能だが、シゲタのじいさんは暴力的になり協力を得られないため無理だった。

だから抱きかかえて立たせ、ベッドからいすへ移動しなければならず、背の低い私が一人で介助するのはなかなか大変だった。それでも受け持ち患者のシゲタのじいさんに何かしたいと思い、大便習慣をつけることを新たな看護目標にあげたのだった。


車椅子をトイレの横まで持っていき、[シゲタさん、トイレに座ってくださいね。いいですか?]と言ってヨッコラショとシゲタのじいさんを必死に抱きかかえて立たせた。

そして便器へ移動しようとした時、シゲタのじいさんは「オイ、やめろ。」と言って思いっきり私の頭をゲンコツで殴った。そしてそのゲンコツは涙が出るほど痛かった。


カーッと頭に血が上り、「いた−い。」と言ってシゲタのじいさんを睨みつけた。理性が「こんなことをしてはいけない。」と頭の中を一瞬だけさえぎった。

しかしそこがトイレの中で密室だと思うと、もう理性には勝てずゲンコツでシゲタのじいさんの頭を殴り返したのだった。


もう10年以上も前の話で時効だと思い告白しているが、看護婦をしていて患者さんに暴力を振るったり、乱暴な言葉を吐いたりしたのはこの時だけである。

私が殴りつけるとシゲタのじいさんはすぐにシュンとおとなしくなって、だまって便器に座った。そして見事な25cmはある太い大便をしたのだった。

しかし後にも先にも朝食後の大便が成功したのはこの時だけで、後はいつも失禁状態だった。


深夜勤務がそろそろ終わろうとしている朝6時〜8時は、採血や体温・血圧測定、洗面介助などで一番忙しい時間といえる。シゲタのじいさんはいつも朝の5時頃から目覚め、「オーイ、オーイ」と大声で叫ぶのだった。

ベッドサイドまで行き、シーツがぬれていたら取り替え体位を整えてもいつまでも叫び続け、側に行くと手を出して「アメくれ。」と言うのだ。

シゲタのじいさんは一日中アメを食べていたい人だった。一日に10個くらい奥さんが買ってきたアメをあげていたが、コントロールができないから一袋預けたら10分で全部食べてしまうという状態で制限しなければならなかった。


大部屋で他の患者さんに迷惑がかかるため、シゲタのじいさんが朝早くから騒ぎ始めたら車椅子に移すことにした。足の力は弱いが腕の筋力はまだ強く自分で車を動かして病棟を一人で回ることができた。

立ちあがろうとすることはなかったので安全だった。車椅子に移るとシゲタのじいさんは静かで病棟を見て回っていた。


さて、ある日の朝、また騒ぎ始めたシゲタのじいさんを車椅子に移し、一人で病棟を回っているのを確認して、大急ぎで深夜の仕事を片付けていた。

7時頃、反対側の廊下からドテーンという大きな音を聞き、驚いてその音のほうに走った。何とシゲタのじいさんが女性部屋の入口に仰向けに倒れていた。車椅子は廊下に残されていた。

その部屋の人に聞くと車椅子から立って7、8歩歩いて女性部屋に入ってきて洗面台につかまったところで後ろ向きに転んだというのだ。後頭部にはピンポン玉大のこぶができていた。


急いで血圧を測り当直医を呼ぶと、打撲による脳出血が起きていたら大変なのですぐCTスキャンの指示が出た。

結局、何の大事にもいたらずにすんだが、若かった私は、女性部屋に入って行こうとして歩いたという事実に「なんというスケベじいさんだ。」と本気で頭にきたものだ。

また何ヶ月も歩いたことがない人が歩いたという事実にも本当に驚いた。


この時の私は全く経験のない一年目看護婦であったが、先輩看護婦もシゲタのじいさんが、まさか立って歩き出すとは思っていなかったはずだ。予測の出来ないことが起きるから、痴ほ老人の看護は難しいのだ。

あまりはっきり思い出せないが、シゲタのじいさんはこの病院でできる治療はもうないということで結局、老人ホームに行くことになったと思う。


さて、どうして昔のこんな恥ずかしい思い出を告白したかというと、痴ほ老人の世話は本当に大変なのだということをもう一度言いたかったのだ。

口ではいくらでも「大変ですね、がんばってください。」と家庭で痴ほ老人を面倒見ている人に言えるが、その大変さは本当に体験した者でなければわからない。


アデレードに高齢者施設を見学に来られた九州のDrは、老人に対するいじめについて話してくれた。往診すると腕の内側が内出血で青くなっている。介助の奥さんがつねったらしい。

別に憎くていじめているわけではないが、毎日毎日の世話に疲れ、この人ののおかげで自分の生活がおわれていると思うとついつい手が出てしまうらしいということだった。


オーストラリアでは子供に対する虐待については、毎日のように新聞をにぎわせているが、老人に対する虐待(いじめ)はあまり聞かない。家族が家庭で高齢者を面倒見ることは非常に少ないからそのようなことも少ないというのは当然なのかも知れない。

アデレードに来て間もない頃、老人ホームに入るような高齢者も収容する公立の障害者施設で、準看護士が、熱湯のお風呂に70代の女性を入れてこの女性が亡くなったという事件が新聞に出ていたが、それ以外では聞いたことがない。


オーストラリアでは家庭で障害のある人を面倒見ていてもその障害の程度が日本での基準とは比べられないほど軽くても援助を受けられるシステムになっているのだと感じる。


看護婦斡旋会社で働いていた時、何回か訪問看護にも行った。初めての訪問看護は74才の脳卒中患者さんのシャワー介助だった。この男性は軽く片腕に麻痺があるだけで、一人で歩くことができたし、シャワーで洋服を脱ぐのを手伝い背中を洗うのを援助するだけですんだ。奥さんはその間、テレビを見ていた。

次に行ったパーキンソン氏病の男性は、軽いふるえが手にあるだけで、やはり一人で歩け、背の低い私でも難なく介助ができた。奥さんはこの間、食卓で新聞を読みながら紅茶を飲んでいた。

こんな軽い介助で済むならどうして奥さんが介助しないのだろうと驚いたものだ。日本ではどの程度の人に介助が出されるのか基準を知らないが、この程度の軽い障害ではたして介助が出るのかは疑問だ。


しかしこのように、毎日誰かが来てシャワー介助をしてくれ、その間、家族は自分の好きなことをする時間があるのなら、介助者の方にも心に余裕が出来ていじめというのは起こりにくいのではないだろうか?

日本の介助者の多くは自分の時間を作ることが出来ず疲れ果てていないだろうか?そしてどこにも持っていきようのない思いを障害を持った要介護老人にぶつけるしかなくなるのではないだろうか?

いくら相手に痴ほがあるとわかっていても、その老人が乱暴なことを言ったり暴力的になったりすると腹が立つものだ。それは若かりし頃の自分の経験からも言える。介護者はただの人間で仏様でも神様でもない。特に何十年も一緒に暮らしてきた人が、時には全くまともな事を言ったりすると客観的にこの人は病気でそれがこの人を乱暴にさせているとは受けとめがたいと思う。

また大人の失禁の世話は本当に大変だ。尿も便もとても臭うし、洗濯も大変だ。赤ちゃんを扱うようには絶対にいかない。


日本でショートステイと呼ばれる介護者支援制度がある。介護者の病気や冠婚葬祭、旅行等のために要介護老人を一時的に施設で預かるというものだ。市町村が実施主体となり、ベッド数は増加傾向にある。(参考文献:服部万里子、病医院の地域福祉戦略ポイント50、日本医療企画)


 

しかし実際には、介護者が病気だという医師の診断書がなければ受け入れてもらえないと聞いた。(市町村によって違いがあると思われるが) それでは本当の意味で介護者に休息を与えるとはいえない。

介護者は休みなく24時間要介護老人の介護にあたっている。休息とはいろいろな普段のわずらわしさを忘れ、心底リラックスすりことにある。医師の診断書が必要なほど介護者の体調が悪くなければ受け入れてもらえないとなると、一体介護者はいつ休息を取れるのだろう?


オーストラリアでも同じような制度があり、レスパイトケア(Respite Care)と呼ばれる。これは介護者が病気の時だけでなく、本当にホリデーや休息をとるためにある。アデレードのある高齢者施設では、政府の援助を受けて特別なレスパイトケアを行っている。

要介護老人を施設に預けてその間に介護者がホリデーを取るということに罪悪感を覚える家族がいる。そのためこのレスパイトケアの間に要介護老人にも施設から看護者をつけてホリデーに行ってもらうという企画だ。施設にあずかってもらうのと同額の援助金が政府から出され、そのお金と本人がためたお金で小旅行に出るというものだ。

健康な者であってもホリデーに行くにはお金をためるのだから、余分なお金は本人負担となり、後はその老人の精神的・身体的状況と希望によって行き先が決められる。

家族は要介護老人もホリデーで楽しんでいると思うと、自分自身も心底リラックスして自分の時間を楽しめるということがねらいだ。オーストラリアのこの柔軟性と配慮はすばらしいと思う。


介護保険導入についてはまだまだ解決しなければならない問題が山済みされているようであるが、介護者の立場に立って物事を見てみることが必要だと強く感じる。



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