相棒福島がピアノの話をしたからというワケでもないですが、趣味の話をしてみたいと思います。イチイチこんな断り書きをしているのは、ここ(ホームページ)ではあまり趣味の話、つまり「ワタシのフェバリットはこれです!」的な話は、極力しないようにしようと思っていたからです。
なんでかというと、趣味の話って同じ趣味の人には「そうそう!」ということで非常に嬉しいのですが、知らんと全然面白くない。その昔、筒井康隆氏のエッセイを読んでて、一般的な話はすごく面白く読めるのですが、「最近ボサノバに凝っている」とかそのあたりの趣味の話になるとちっとも面白くなかったのですね。書かれている人物、用語、表現いずれも聞いたことないことばっかりだから、読んでて疲れてくる。彼ほどの表現力をもってしても、趣味の話に耽溺しちゃうと詰まらなくなるのだなと妙に印象に残ったわけです。だから、あまり自分もしないでおこうと。
じゃあ何で今回書こうと思ったかというと、あらたまって深い理由はないのですが、知らん人にもそこそこ読めるように書けるかな?とりあえずトライくらいはしておいてもいいかなという気になったからです。早い話が気まぐれ。
福島、柏木両氏の趣味がピアノだとしたら、僕の場合はギターになるのでしょう。遡ること高校時分、銀座の名画座のボロボロの画面で「レッド・ツッペペリン狂熱のライブ」という映画を見て、ジミー・ペイジの、ほとんど人間とは思えないくらいのカッコ良さにガーンときて、「これはやるしかない」と思ったのが決定的なキッカケでしょうか。このテのパターンでギターにのめりこんでしまった人というのは、結構沢山いると思います。
それまでも、まあ、ガットギターなんぞが家に転がっていて、クラシックギターの初歩とか、井上陽水あたりを適当に弾く事はあったのですが、そんなガーンときてのめりこむようなことはなかったです。では、なんでジミー・ペイジだとガーンときたのかというと、異様なまでの「全編これ弾きまくり大会」「ギターがメチャクチャ目立っている」というあたりでしょう。それまではね、どうしても歌が主でギターは「伴奏」というか、脇役で、歌がうたえないとギター弾いてもイマイチ面白くないし、ギター自体が突出して目立つということもない。弾き方も、コード(和音)主体で、ジャンジャカジャンジャカやってるだけ。まあ、家で一人でコードだけ弾いて伴奏やってたって面白くないですわな。
ところが、この映画で見たジミーペイジというイギリス人青年はですね、一言も発せずただひたすら黙々とギターを弾くだけ。しかもその弾き方がハンパではなく、歌なんか無視してギター聞いてるだけで十分成り立ってしまうくらいで、全然「伴奏」というものではない。華奢な身体をふらっと揺らしたかと思うと、クィッ、キュィッ、キャ、クッ、ク、キュワ〜ン、キー、キャギャギョガガガガ、グワン、ゴ、ゴ、ガリガガガリ、ズワ〜ンと、一気呵成に弾く。アクション映画で主人公がマシンガンをドガガガガとぶっぱなすシーンのような快感。細くて長い指が、目にも止まらぬ早さで、息つく間もなく、指板を駆け上がり、駆け下るという。
今から思うとテクニック的には大したことしていたわけではないが(この人、テクニック的に言えば下手なのは有名だし、この映画も大分編集してたらしい)、当時のほっぺの赤い高校生だった自分には、「なんだこれは?!」でとても人間業には思えなかった。またこの人、やたらオーバーアクションだわ、ギターだけで延々20分くらいソロはやるわ、ボウイング奏法といってバイオリンの弓でギターを弾いてしまうわ、衣装もドハデだが、やることもハデだったわけです。「こんだけ出来たらそら面白いわ」というわけで、「やるっきゃない」状態になったわけです。
なんだかんだ言って、もう20年前の話です。げ、20年?もうそんなになるのか?と思いますが、そうです。それまで、この手のロックを知らないわけではなかった。知らないどころか、当時の流行のエアチェック(FM放送の音楽を録音すること)しまくっていて、誰も知らないようなジャーマン・プログレのノイ、ノバリスあたりまで手を広げていたわけです(どうでもいいけど、ここのところクラフトワークがまた注目されてるとか)。まあ、クラスに一人はいる洋楽オタクの入口付近にいたわけで(僕程度では入口レベルでしょう)、レッド・ツッペリンなんかメジャー過ぎて、、という感じでした(当時は誰も知らないマイナーなものを知っているのがカッコ良いという、よくある稚拙な価値観にとらわれていたのですね)。
でも、ビデオというものが世の中にない悲しさ、音は聴けても画像はなかった。で、たっぷり2時間この映画で画像を見て、「おおおお、こんな風になっていたのか?」と改めて感動したわけです。
余談ですが、この映画を見るずっと前に、NHKで夕方からヤングミュージックショー(すごいタイトルだ)という番組があって、そこでKISSのライブをやっていたのを見た記憶があります。これはこれで凄かったわけで(なんせCMゼロ、ナレーションゼロでひたすら演奏だけを放映するという超親切な番組だった)、聞くところによると、X JapanのYOSHIKIとかHideあたりも、奇しくも同じ番組見ていて「これは、俺もやるしかない」状態になったとか。
でもね、僕の場合、これ見て俺もギターを弾こうという気にはあまりならなかった。そりゃ、KISSのギタリスト、エースフレーリーもカッコ良かったですよ。女性的なナヨッとした風情ながら、弾き出す音はやたら攻撃的、暴力的というアンバランスさ、これはもうロックギター定番の美学だと思うのですが、これはしっかりキープしていたのです。だから「よし、俺も」と思っても不思議じゃなかったのですが、この場合はギタリストがどうとかいうより、KISSというバンドの、コテコテのエンターテイメント性が前面に出てきてて、「だから自分も」という具合にはならなかった。だって、血のり吐いたり、火を吹いたり、ギターからドライアイスの煙が出てきたり、あれはもう「観るもの」であって、「やるもの」という感じからはちょっと遠かった。でもジミーページの方は、もっとこう「技術職人」風なところが出てたので、「これなら出来そう」という気がしたのかもしれないです。
で、速攻で秋葉原行って安物のギター買って(しっかりジミーペイジと同じレッドサンバーストのレスポール←ギターの型ですね)、嬉しそうに弾いたはいいが、頭の中に鳴っているあの映画の音と自分が出す音との間にある、百万光年ほどありそうなギャップに打ちのめされ、「基礎練だ!」で指たて伏せしたり、スケール練習(ドレミファ)やったり、まあ、その筋の世界に入っていったわけです。
これもやりだすと、機材に凝るわ、カッコに凝るわ、音に凝るわ、フレーズに凝るわ、幾らでも凝る部分がありまして、他の趣味と同じく、のめりこんだら一生溺れていられるでしょう。ここらへんの話しだしたら、APLaCホームページ全部の容量以上になってしまうでしょう。やめます。
で、こっちにきて今でもギターやってますかというと、殆どやってないですね。こっちエレキギター高いし(税金の関係だろうな)、エフェクターとかの周辺機器も高い。しゃーないからアコースティックギター一本だけで、時折弾いてる程度です。バンド組んでどうこうという感じでもないし、「今月はこの曲に挑戦」という感じでもない。大体音楽聴きまくろうにもCD高いし(30ドル)、品数少ないし、邦盤全然無いしで、環境もイマイチ。なんとなく盛り上がりに欠けるまま、言うたら全然やってないに等しいわけです。
それでも、ふとこんなことを書く気になったのは、車で流しているFM放送(これは沢山ある)で、「今月、セプテンバーは、"ゼプ(zep)テンバー"ということで、レッド・ゼペリン(Led Zeppelin,英語ではこう発音する)特集です」なんていう、とほほ級のギャグで特集やってたりするからです。
こっちのFMって(局にもよるけど)、ここ10年以上洋楽には御無沙汰だった僕でも知ってるくらい、洋楽懐メロ(彼らは「洋楽」とは思ってないだろうが)をようかけますね。クィーンのボヘミアン・ラプソディなんか何十回聴いたか。基本的に「懐メロ」だと思ってないのかもしれない。そいえば、前にバスに乗ったとき、なんか知らんけどハイテンションだった女子高生らしきオージーの女の子が、ビートルズのイエローサブマリンとか歌ってたもんね。それってキミらの両親が結婚する遥か昔に流行った曲じゃないの?ということで、日本で言えばそこらへんのコギャルが「時には母のない子のように」「瀬戸の花嫁」あたりを歌ってるんと同じと違うんかと思ったりもするのですが、さすが中古品を大事にするオージーは一味違う(って違うか)。
でも、おかげさんで、ほんのこの一週間で、ツェッペリンの「カシミール」「トランプルド・アンダー・フット」「デジャ・メイク・ハー」などなど、「知ってる人は知っている」級の曲を聴けたりするわけです。そんで、車運転しながら、「うっわ〜〜、この曲、やる?」で結構他愛なく喜んでる今日このごろだったりします。
しかし、こんな話読んでて面白いですかあ?でも、自分が読者で他人のホームページ行くとき、自分の好きな音楽や小説やマンガのこと書かれると妙に嬉しくて、ついそれを探してしまうという習性もあるのですね。これ別にホームページに限らず、普通の読み物で同じですけど。気が向いたら雑記帳の分室でも作って、趣味満開のページでもやるかもしれません。
(1997年9月13日:田村)