なんでオーストラリアにいるの?
そうですねえ、何でなんでしょうねえ。最近はオーストラリアにいるのが当たり前になって、「なんでここに居るのか?」なんて改まって考えなくなってしまったのですけど。
それでも、来るときは周囲に説明するための一応もっともらしい理論武装もしました。
曰く-------,この先の見えない世の中で将来を決め打ちするのはリスクが大きすぎる。老後の問題ひとつとっても、年金なんてまず僕らの世代ではアテにできるわけないし、保険かけても保険会社がコケたらそれまで。結局のところ固定的な担保なんかない。だったら、どんな世の中になっても、とりあえず対応していけるだけの柔軟でしぶとい「適応・生存能力」を養っておいたほうが良かろう、と。まあ、麻雀でいえば、一発狙いの西単騎で待つよりは、手なりにどんな風にも上がれるリャン面、願わくば3面、4面待ちにしておいた方がいいんじゃないかということです。
では、その「柔軟な適応・生存能力」というのは何かというと、それは、確固たる資格や地位を築くいわゆる「キャリア」ではないです。あれは形を変えた「年金」だと僕は思います。それに、流行スタリがありますから、あんまりアテにできません。そのことはもう、真空管技術を学んで独立開業した途端、トランジスタの世の中になって今までの努力が一気にパーになってしまった親父からもさんざん聞かされたきたことです。何か固定的なものに頼ったらアカンぞよ、と。
僕が考えたのは、もっともっと根源的なことです。
例えば、体力とかもそうですし、「初対面の異民族の人にどれだけ心を開けるか」なんてのもそうかもしれません。一番大事なのは「どんな状況でも適当に面白おかしくやっていける能力」でしょうか。不幸のどん底みたいな状況に陥って、99%メゲていても、あと1%で「いやあ、これが人生の醍醐味じゃい!大リーグボールもいつかは打たれるぜよ、がはは」と流せるような「性格」というか、「素材の弾力性」みたいなもの。勿論やせ我慢でしょうが、やせ我慢にしても、それができるだけの心の強さということでもあります。で、これは、性格というより、はっきり「(生存)能力」だと思います。気力が完全に萎えてたら、やってきたリカバリーのチャンスも逃すし、最悪自殺ということもありうるわけで、そうなれば「生存」できなくなってしまう。
つまりは「生物」としての基本的な「生き延びる力」ということでしょうか。勝率99%でも一回失敗したら死ぬ奴と、勝率1%でも100失敗しても立ち直れる奴とでは、最後に生き残るのは後者じゃなかろうかということです。
では、生存能力はわかったとしても、それが「どうしてオーストラリアなのか?」という話に進みます。
いや、別にどこでも良かったんです。自分が能力的にゼロになれるようなところ、何かに頼らず裸で対応しなきゃいけない環境であれば。それまで僕は弁護士やってましたけど(今もそうですけど)、その特殊技能をまず封じると「ただのアンちゃん」になりますね。でもって、海外経験も英語力もゼロに等しいとなると、それ以下の存在になります。現になりました。そういう環境にしないと、なかなか根本的な能力というのは向上せんのじゃなかろうか、と。だから、別に海外に行かなくても、未知の業種に転職するのでもOKでした。海外にしたのは、自分にとっては一番突拍子がない選択のように思えたからです。国内だと日本語通じちゃうし、良くも悪くも周囲の関係が残ってしまうから却ってやりにくかろうというのもあります。
それともう一つは「思い切ったことが出来る能力」というか、崖から「え〜い」で飛ぶ気持ちのふんぎり方ですね。「あとは野となれ山となれ」で見る前に飛ぶという能力。この先、生きてて少なくとも一回はそういう時が来るだろう、ましてやこんな世の中だからあと何回もくるかもしれない。そのとき踏ん切りがつかなくて愚図愚図していて焼け死んでしまうかもしれないなあという予感は結構ありました。ですので、人生の中盤で、失敗してもそう極端に困るわけでもない状況で、一遍「予行練習」しておくのもいいだろうと思いました。一回やっとけば次が楽ですし、逆に今やらないと年をとったらもっと恐くて出来なくなるだろう、と。
「せっかく弁護士になって、修行積んで、さあこれから」という状況を棒に振るわけですが、その程度のことを勿体ながっていては先が思いやられるわ、と。勿体無い気もすごくするのですが、無理矢理勿体無くないと言い聞かせる、と。もっとも、「棒に振る」とかいっても、頭の中にインストールしたソフト(法律知識/技術)は、錆付くことはあっても無くなることはないんだから、本質的には大して失うものもないのですが。
ところで、自分では大それた決断と思っていても、世間を見渡せば、皆さん波瀾万丈な生き方してはりるようです。
中島らもさんのエッセイだったか書いてありましたが、イベントかなんかの企画でちょっと時間が余ったので、穴埋め企画でそこらへんの商店街のおばあちゃんにインタビューしてみたら、そのおばあちゃんの半生記というのが、もう波瀾万丈、「おしん」の世界というか、大河ドラマになるんじゃないかというくらい凄くて、本編の企画がアホらしくなるようなものだったと。で、そのおばあちゃんが特別かと言うと、実はそんなこともなく、「平均的な日本人」というのは、そのくらい山あり谷でやってきてるじゃなかろうか。とりわけ年配の方は、戦争というとんでもない大波を生き抜いてきてはるのだから凄くて当たり前。僕の親父も、そういえば、子供の頃、満州で馬賊やってた祖父に、裏の畑でピストルの練習をさせられてたと言ってました。
そんなこと考えたら、「ちょっとオーストラリア行く」なんてのは、「決断」という言葉でいうのもおこがましい、屁みたいなモンだと思います。大体この程度のことで、「ううむ」と唸ってたくらいだから、適応能力が乏しかったのでしょう。ちなみに、「生存能力養成のための環境変化」が良いなら、非英語圏の第三世界あたりに行けばもっといいじゃないかとお思いでしょうが、そのとおりです。でも、さすがにそこまでは飛んでしまったら着地に失敗しそうで、旅行ならまだしも「住む」となるとビビるものがあったわけで、ビギナー向けの英語圏で馴染みのあるオーストラリアにしたわけです。早い話がその程度に僕がヘナチョコだったということですね。
ほんでもってオーストラリアきたら、やっぱり「人間の人生って波瀾万丈なんだわ」というのが実地で分かって、非常にイイです。
パレスチナ難民、ベトナム難民だった人とか、いくらでもいますし、時折体験談とか読んだり聞いたりしますけど、やっぱりスゴイですもん。母国を離れるときの決断、大海を漂流してる経験、海賊に襲われ、水が尽きて小便すら飲む状況、辿り着いても国家をたらい廻しにされる。やっとオーストラリアについても、英語で死ぬほど苦労し、差別もある。それに打ち勝ってきてる人が町のそこらへん歩いているんですもん。だいたい、他国に住むなんてのも、ここは移民国家だから、それは全員の共通ラインで、全然冒険でもなんでもない。チェルノブイリの原発事故で住めなくなってオーストラリアに来た人、天安門事件でこっちに来た人、最近ではボスニアなどで来た人、なんでもアリですが、そうであっても、ここでは「一人の平凡なシドニーサイダーズ」です。そんなに特別な話でもない。
別にコアラやカンガルーと暮らしたかったわけでもないし、悠々自適なリゾート目的で選んだのではなく、世界から「オーストラリアに来た人」に関心がありました。また、それを「なんでも来い」で受け入れてるオーストラリア人(受け入れられない人も結構いるが)にも関心はあります。そのあたりの世界に接したいというのも、オーストラリアを選んだ理由の一つになるでしょう。別に会って教えを乞うというのではなくして、単にそういう人々と同じようにぞろぞろと歩道を歩き、バスで乗り合わせているのだという事実だけで十分刺激的です。また、非英語圏から来たのに、皆さん流暢に英語を使っているわけで、これまで相当に努力されたのでしょう。そんなのを毎日見てたら、自分一人だけ「英語は苦手で」なんて寝言言ってる場合じゃないというのも分かりますし。
このような生存能力バリバリの人々に囲まれて暮らしていれば、多少はものの考え方も変わるだろうし、自分の生存能力もまた向上するような気がします。ああ、もう、犯罪以外は、ほんと、何やってもいいんだなあ、人間何とかなるもんだなあと自然に思えてきますし。
(96年11月22日、田村)