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プライスコンシャス



プライスコンシャスという言葉があるのかどうかしりませんが、僕の知ってるオーストラリア人は、わりとプライスコンシャス=物の価格に関心が高いです。

お隣に悠々自適な退職生活を送っている大家さんが住んでいるのですが、ときどき一緒に近くのスーパーまで買出しにいきます。店内をうろうろしている際に、「look!(ほら!見てごらんよ)」とよく声を掛けてくれます。なにかと思って見てみると、「今日はジャガイモが安い・高い」というような類の話なわけです。「今日は値段が○ドル○セントだろ、でもいつもは○ドルもするんだよ。これが近くの小売店で買うと○ドルもするんだ」と。

たしかに結構な値段差があるわけで(どうかすると3倍くらい違うときもある)、意識的にならざるを得ない面もあるのでしょうが、価格の話はよく出てきます。買物時でなくても、また特にインフレその他が話題になっているわけでなくても、普通の世間話のなかで「あれは大体○○ドルくらいで」という値段表示がポンと出てくる頻度が日本よりも高いのかな、という気がします。少なくとも、「お金のことをいちいち口に出すのははしたない」「お金に執着しないように装うのがかっこいい」という価値観はあまりないように思います。



これは僕の気のせいなのかもしれませんし、もちろん人によっても違うでしょう。でも、オーストラリアの人は、価格に敏感な人と全く無頓着な人とに分かれると聞いたこともあります(人伝に聞いただけですが)。

TVをつければコマーシャルがバンバン流れますが、ここでも「安いぞ!」攻撃は激しいわけです。短い時間の間に、超早口の英語で「○○がたったの○○ドル!○○は○○ドル!」をまくしたてるCMなんかよく見掛けます。新車の値段14999ドル(フォーティーンサウザンドナインハンドレッドナインティナインダラーズ!)なんて早口言葉のように言われても聞き取れないっす。

"You can save 25 dollers!!"とか、「ふーん、「お得」「割引」というときはセイブ(save)という単語を使うんか」と、こっちきて最初に覚えた英語はここらへんの言葉かもしれません。新聞の広告でも「SAVE!」とデカデカと載っています。



そういえば日本でも、東京の人に比べて大阪の人はゼニカネのことをためらいなく口にする傾向があると言われてます。僕は東京生まれですが大学からは関西なので一応両方わかる方なのでしょうが、そういえば「大阪人の頭」でやってた方がオーストラリアには馴染むのかなあという気もします。「ふーん、で、結局なんぼすんねん?」という感じにズケッと言っても、別に失礼でも不躾でもないような(単に気付かないだけか?)。

一般に「高い物を買った」「高価な物」というだけでは何の自慢にもならず、「わざわざ高い物を買ったアタマの悪いヤツ」と見られかねない面はあります。隣の大家さんも僕の物を指して「これ幾らで買ったの?」と聞いて、彼が思ってる値段より高かったら、「ああ、なんてことを。オーストラリアの経験がまだ少ないから可哀相にカモられて」と悲しそうな苦味走った顔をします。そういう顔されても、どう対応していいのか分からんのですが。



しかしですね、思い出したのですが、以前、相棒福島のお供で、「売ります買います」の中古ピアノを見に行ったことがあります。そこは、いわゆる山の手地区のお家で、どのくらい「山の手」かというと、緑の芝生にポンとポルシェが停めてあるような感じですが、そこの奥さん、「今度新しいピアノを買ったのよ」と見せてくれて、「これ、○万ドルもしたのよ!」と嬉しそうに言ってはりましたな。別に全然厭味でなく、天真爛漫に嬉しさを表現されるわけで、そこまで無邪気に言われると、こっちも何か嬉しいような気分になって、「ほう、グレイトですね」とつい言ってしまったのですが。何の話かというと、だから、「高い買物」が自慢にもなる実例もあるという話です。

結局、よく考えたら、人間自分で巧くやったと思ってることはやっぱり自慢したいでしょう。単に「安い買物をしたクレバーさ」を自慢したいときは安さを自慢し、「高品質な物を保有する喜び」を表現したいときは高さが目安になると、ただそれだけの話なのかもしれません。別に「オーストラリア人は」云々という話でもないのかなとも思います。こういう「オーストラリアは」という比較文化話は、実はすごい難しいですね。

ただ、それだけの話でした。(田村)



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