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シドニー雑記帳


僕の心を取り戻すために(1)

尾根道にて




 この九月に日本から帰ってきた福島は、本人も書いてますが、ぼーっとしてます。もともとボー系の人なんだけど、いよいよ、すんごくボーッとしてます。痛快なくらい。で、口を開けば、「私の人生は終わった」みたいなことを口走るわけです。

 変な人なんですけど、別にそんなのは昔から知ってるのですけど、僕には彼女が言ってる感覚が分かるような気がするのです。





 僕も、この4月に日本から戻ってきた時、「あ、人生折り返し地点過ぎたな」と思った。ベッドに横になって天井を見上げていたら、どこかでカシャンと音がして、ガクンとなにかの「角度」が変わった。上り坂が下り坂になった。これまで生きてきた時間よりも、これからの時間の方が短くなりましたよという、その分岐点を超えたな、と。数えてみれば、今年でもう38才になります。「げ、うそ?」というくらい全然感覚的に納得できないのですが、そうみたいです。だから、男の平均寿命の丁度半分くらいなんですね。

 で、思ったのは「ほんで、これからどうすんの?」という、索漠とした感覚。晩秋の日本海、海のそばの小さな駅で特急列車の通過待ちをしているような感覚。たそがれちゃうよな感覚。





 二人とも、日本からこちらに戻ってきてこの感覚にとらわれるというのは、単なる偶然ではないように思うのです。なんというのか、「日本→オーストラリア」ゲームが終わったかのような感じです。最初、日本を離れて徒手空拳でこちらに渡るときは不安でしたし、緊張してました。で、日々こちらで頑張る。そうやって頑張って過ぎ行く一日一日が、そのまま日本に対する「貯金」のように思ってたのかもしれない。

 意味わからないでしょうから、もう少し説明しますね。
 例えば、山篭もりの修行がありますが、あれって山にいるのが最終地点ではないですよね。修行のあと、下界に下りてその成果を発揮して、それで一件終了というワンセットになっています。僕のなかにも、そんな気持が無意識的にあったのかもしれません。

 最初からリターンセットになっていて、外国で頑張る→自分が何か変わる→その成果を日本で味わう、ということで、最後に日本に帰って何らかの感動を得るのが、まあ御褒美のようなものだったのではないかと。で、僕は2年8ヶ月ぶりに日本に帰って、そのご褒美を食べてしまった。Game is over. 終わってしまった。で、あとシドニーに戻っても、またあの「日常」が待っているだけという。この先何を楽しみにしてやっていこうか、「はて?」となる。

 いや、将来の楽しみはいろいろある筈ですし、別に「久しぶり日本!」だけが生きる全ての意味でもない筈です。筈だったんだけど、それが無くなってしまったら、「あれ?」と思ってしまった。

 このことは2つのことを意味するでしょう。一つは、これまで無意識的に「海外修行ゲーム」というものをやっていてそれが完結しちゃったということ。もう一つは、他に面白そうなゲームをやってなかったということです。それまで気付かなかったけど、日本に帰るまでは無意識的にそれを楽しみにしてたのですね。その楽しみがあるから、他の分野が色褪せていたことにもあんまり気付かなかった。で、いざそれが無くなってみると、「あれ、他にも何にもないじゃないの」ということが結構わかってきて、ムナシーということになってしまったのかもしれません。仮説ですけど。

 何もそんなに虚しがらなくてもいいじゃないか、いくらでも可能性が広がってるし、それを為しうる自由もあるじゃないか、ムナシくなってる場合じゃないぞよ、とは頭では分かるのです。でも、なんか心にヒグラシがカナカナカナと鳴いていて、「ああ、夏も終わりなのね」というジャージーな気分になっちゃう。もうこのままここに居っても、源氏物語の第二部というか、ドラゴンボールの最後の方というか、北斗の拳でカイオウを倒した後の話というか、盛り上がりに欠けるままダラダラと続くという感じ。

 なんでなんだろう?もう少し、それを考えてみました。





 で、唐突なんですけど、最近ふと思ったわけです。僕はいま尾根道にいるなあと。

 山の尾根というのは、頂上ではないのだけれど、山の稜線だからとりあえず一番高いところにいて見晴らしも良い。で、尾根づたいに歩いているわけなのですが、それが何となく単調で面白くない。かといって、右に行っても、左に行っても下るだけだし。「うーむ」という感じ。

 「小成に安んずる」という言葉があります。小さく成功して、そこで安心しちゃってそれ以上を望まなくなるような状態をいいます。今の自分がそれに該当するかというと、まあ「小成」などというのもおこがましいわけで、適当に上向いてはいるものの、相変わらずAPLaCは全然儲かってません。預金も減り続けるばっか(おおお)。ホームページ開設もうすぐ2年というのにこの調子では「大失敗」といってもいいのですが、でもまあ、こんなホームページを頼りにこれまで日本から何十人という人が訪れてくれました。それだけでもスゴイことだと思います。メールも沢山いただいてますし、ヒット数もそこそこ増えました。

 最初はねえ、本当にねえ、パソコンと格闘してました。ただでさえパソコン分からんのに、全部英語環境だったもんね。何度パソコンを裏庭にもっていってガソリンぶっかけて燃やそうと思ったことか。思えば遠くにきたもんだ。

 ほんでもって最初はおっかなびっくりだったオーストラリアも、今では自分の町という感じです。英語は、中々上手くなりませんが、そんなに思いっきり困るということもないです(とはいっても、まだまだ全然ですけど)。相棒福島と何のコネもないのにオーストラリアにやってきて、とにもかくにも友達も出来たし、いつのまにか猫も三匹住み着いた。四匹目も遊びにくるようになった。日々のルーチンワークも出来てきました。だから、そんなに不安でドキドキするようなこともありません。

 だから「小成」はおこがましいとしても、「微小成」くらいではあるわけです。結構なことなんですけど、最初に不安にドキドキしなくなった代りに、期待でドキドキするようなこともないわけです。文学的にカッコつけていえば、ああ、全ては又してもあの「日常」とやらに溶け込んでいく、といったところでしょう。




 この感じが尾根道なんですね。適当に見晴らしが良い尾根道まで登ってきました、あとはこの尾根づたいに進んで行くだけですという。

 で、「右にっても左にいっても下るだけ」というのは、いま日本に帰ってもそう大してやりたいことがあるわけでなし、またこういった生活も出来ないだろうと。はたまた、こちらの一流企業に勤めたり、頑張ってキャリアを身につけたりというのも、まあ大体日本でやってきたことの焼き直しだろうということでそんなにワクワクする話でもない。だから「下るだけ」のように思えてしまう。この先APLaCが成長して年商ン千万になったとしても、「ふーん」という感じであまり心はずむ話でもない(実際にそんなに儲かったら気持も変わるだろうけど)。

 この感覚は、創立以前からの相棒福島も同じくシェアしてます。
 考えてみれば、彼女だって、今年だけでニュージランドに行くわ、国際結婚するわ、妊娠−流産体験はするわ、世界旅行だわ、今度は卵巣腫瘍の手術だわで、普通だったら十分にエキサイティングです。たった1年でこんだけやる人って珍しいですわ。これで文句言ってたらバチがあたりそうなのですが、でも、そのイマイチ感覚は僕にはわかるわ。で、道はそれぞれ別々になるでしょうけど、「どうしたもんかね?」「なにか新しい面白いこと思い付いた?」とか、時折話してたりするわけです。

 本当いま自由です。360度どこに向おうが何をしようが、誰にもとやかく言われることもないわけで、このうえないくらい自由です。もっとも、その自由は「お金がない」「老後の備えは完璧にゼロ」という二点を引き換えにして得たもので、あなたもこの二つを捨てたらすぐに自由になれます。で、自由にもすぐ慣れてしまうように、不安もすぐに慣れっこになります。そしてまた日常になってしまうのですね。

 あ〜、すっごい贅沢で傲慢なこと言ってますね、俺。こんなこと言ってるとすごい嫌われそうですね。ただでさえ少ない客がもっと減るかも。でも、嫌われる営業上のリスクよりも、正直に「本当のこと」を伝えるポリシーの方を取りましょう。実際、マジに「なんだか、妙なトコロにハマってしまったな」という感覚があります。「ヤバいな、これ」と思ってるんです。




 思うのですけど、自分はエキサイティングな日々がしたくてオーストラリアに来たのか、のんびりしたくて来たのか。いや「オーストラリアに来る」とかいう細かな話でなくても、自分の人生、日々スリリングな方がいいのか、それともそんなチョコマカしたコップの中の嵐のような日々なんかもう沢山だと思っているのか。どうなんだろう?自分でもよう分からん。

 オーストラリアに来た当初は良かったんです。なんせそれまでが猛烈に忙しい日々だったですから、「何にもしない」という状況が逆にすごいエキサイティングだったわけです。「なにやら忙しげに立ち働いていないと人間失格」みたいな勤勉概念があるとすれば、それに真向から喧嘩売ってるような感じで、それなりにスリリングだったわけです。でも、それも続けば飽きます。飽きるんだけど、じゃあ昔みたいに一丁忙しく頑張ってみるか?という気にもならないのですね。

 で、どっちつかずのまま、それこそ湯冷ましの水を飲んでるような感じになってしまうという。とりあえず、今はそれなりに快適で、敢えて尾根をからおりるほどの理由も見当たらないから、このまま進んでいこうかというところです。

 もっとも尾根道を歩くのが簡単かというと、そうでもないです。麓から頂上を目指して必死に登るというのは、大変だけど、簡単でもあります。やればやっただけ高度は得るわけだし、確実に充実感や達成感は訪れます。尾根道はそういう大変さはないけど、達成感も少ない。その分眺めはいいのですけど、平地と違ってバランス崩せば、すぐに左右どちらかに転落してしまう危険は常にあります。APLaCにしても、やはり一定の水準はキープしてないと駄目だろうし、それどころか一年前と同じ事をやってたら駄目だろうと思います。一定儲けないと駄目だけど、バランス崩したら信頼の根拠自体が根こそぎ崩れる。やはりそれなりに難しくはあります。

 難しくはあるんだけど、断崖絶壁を飛び降りたり、よじ登ったりという、スリリングな展開ではないのですよね。まあ、それでいいんでしょうけどね。こんな不満は、もう少し儲かってから言っても遅くないのでしょうけど。

 ただ、僕も相棒も、崖を飛び降りたりしてその面白さを知ってしまってるから、ある種の中毒症になってて、ある程度のメチャクチャ、殆ど人生棒に振るくらいの無茶をやらないと楽しくないという不幸なカラダになってしまってる部分はあります。予定調和でゴールが見えちゃうようなものには、あまり食指が動かないという。困ったもんです。




 これはしかし、僕らだけの話ではないだろうなと思います。世界的にそんな感じになってるような気もするのです。日本もそうでしょう。僕がそう感じるということは、同じように感じてる人が世界の中の何%かいると思います。

 日本の場合、高度成長期を通じて、とにかく麓から頂上までえっちらおっちら登ってきました。辿り着いた達成感とそれに続くバブル・パーティーの次は、現在始まっている変革期になります。終身雇用も安定した生活も、これからはそれほど望めなくなるでしょう。それなりに厳しい世の中になります。しかし、その分自由もありますし、成長する領域や新しいビジネス、新しいライフスタイルも出てきていますし、これからより本格的に出てくるでしょう。古い物が壊れた分、新しいものが出てくるでしょうから。

 そこまではいいんです。問題は、さらにその次なんです。

 安定した生活、大きな船から飛び降りて、大海を溺れながらゲホゲホ泳いで、自分なりの「居場所」や「やり方」を開発しました。とりあえず、めでたしめでたしなんでしょうけど、「だが、しかし、人生は続く」わけですね。ここから先が大変なわけです。それまでとはまた別種の、尾根道的な大変さです。そこからどうするか、ですね。いよいよここからが本番なんだろうなと思います。似たような感覚に染まってる人は、僕らだけではないと思います。

 ここから先の道標は、僕の知る限りないです。誰もあんまり言ってくれていない。大変な時代になります、個人の力量が厳しく問われます、グローバルスタンダードがどうしたこうしたとか、そこらへんの話は誰でも言うのですけど、でもそこから先については誰も言及しない。その変革期の環境に適応してそれなりに成功すれば、それがゴールであるかのように言われています。

 でもゴールじゃないです。こんなのはスタートラインに過ぎない。「地球がありました。アナタが居ました。で、どうすんの?」という、メチャクチャ巨大な問いかけがやってきたりするわけです。このまま淡々と尾根道を進み、さらに道幅を広げ、大きな城を築いていくかという第一の方向、そうではなくこの基盤をキープしつつ、堅実な生活を築き、趣味の世界を広げて行く第二の方向、スクラップアンドビルドで今まで築いたものを叩き壊して、尾根から下りていって、また別なものをゼロから作っていこうという第三の方向。

 僕らに即していえば、このささやかなイトナミをベンチャー企業として成長させてリッチになろうという第一の方向、そうではなくそこそこ儲かればいい程度に止めておいてあとはゴルフとか乗馬とか楽しもうという第二の方向、はたまた、何の成算もないままポンとオーストラリアを飛び出してどっかに行っちゃうという第三の方向があるわけです。

 で、そのどれもが、イマイチな感じがするので、「うーん」と思ってるわけですね。第一の方向をやりたかったら日本に留まって頑張ってりゃよかったわけだし、今からでも遅くはない。第二の方向も、なっかなかその気にならない。第三の方向は一番スリリングに思えるのだけど、一度もうやっちゃってるので「またか」という気もする。

 だからですね、第四の方向があるような気がしてるのですね。それが何なのか見当もつかないのですけど、それを見つけ出すことが次の時代のキーポイントになりそうな気がしているのです。遅かれ早かれ、多くの人がこの尾根道にやってきて、「うーん」ということになるだろう。そのときこそが、本当のビジネスチャンスであるかのようにも思います。





 な〜んて書いていたのが実は1〜2か月くらい前のことです。書いては没にし、また加筆して、、、と溜め込んでいた原稿です。

 で、今はどうかというと、やっと何か掴めたような気がしています。でも、今それを書いても、「何言ってんだ、こいつ?」と思われるだろうなあ。ものすごい抽象的で、多分、全然分からんと思います。だいたい僕自身、「こんな感じ」という漠たるものですから。それでもここまでひっぱっちゃったら何か書かないと収まりがつかないので、意味不明なのを覚悟で書きます。

 長くなりましたので、次へ



1998年10月27日:田村




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