魔物がうずくまっているような黒い山塊の上に
糸のような三日月が出ていた。
反対側の窓には、
黒と灰色のグラデュエーションによる空間の広がり。
ヘッドライトの光輪の中に
蛇のように伸び縮みする白い車線
走り過ぎる黒い山あいの懐には、
大きく口を開けた妖精達がこっちを向いて睨んでる。
----------国境までもう少し。
信号が変わった。
また雨が降り出してきた。
助手席のあなたはミイラになっていた。
ミイラになったあなたを乗せて
私は走り続けている。
----------国境までもう少しよ。
あなたがあれほど望んだ国境は、
あの糸のような三日月の沈む地平線
アクセルをふかした。
過熱気味のエンジンは激しく吠えた。
車線は出現と消滅のサイクルを早め、
黒白まだらの一本の蛇になった。
魔物のような黒い山は、次々に現れては消えていった。
呼吸するようなエンジン音以外、何も聞こえない。
----------国境まであと少し
車を止め、降り立てば、妖精達が取り囲み
時を忘れて慈しみ合う。
ついこないだまで慈しみ合っていたわ。
でも、何時からだろう、私はこの車に乗りこんだ。
この車は誰のもの?
私のもの?
盗んだもの?
そんな昔のことは、覚えていない。
車に乗ってからすぐに日が暮れた。
いつしかこのフリーウェイに入った。
あの三日月が山から顔をのぞかせた頃から、
対向車も先行車も後続車も見なくなった。
妖精達との日々の暮らしも、遠い昔のこと。
黒い平板な壁となった窓の向こうに
妖精の里であるあの山のシルエットが
ペチャッとリアリティなく張りついている。
やがて剥がれて路上に落ちる。
一瞬で見えなくなる。
もう、二度とこの地上で巡り合うこともない。
いつ入り込んだのか
一匹の蠅が、微動だにせず、フロントガラスに止まっている。
ダッシュボードの上には、
美しいグラビアのイラストマップが折り畳まれているけど、
蠅も見ようともしない。
勿論、私も見ない。
動きながら静止しているヘッドライトの光輪の中で
まだらな蛇が踊っているのを見つめている−−−
----------国境まであと、少し。
−−ふと気付くと、
ミイラになったあなたは、ゆっくりと形を変え、
大きなサナギになろうとしていた。
あぁ、あなたはそうして又変わってゆく....
と、そのとき、
−−ピシッ!
私の頬の皮膚に亀裂が走った。
そして1センチ四方大の皮膚がポロリと剥離した。
「ついに私にも始まった!」
私の胸に歓喜が広がった。
歓喜の本能に衝き上げられ、
私はハンドルを握りながら吠えた。
顔面の筋肉の波動に合わせて、
亀裂は顔中に広がり、そして全身に広がった。
次々に剥離してゆく皮膚の下から
隠されていた新しい私が生まれつつあった。
魔物のうずくまる山々は徐々にまばらになって
これまでに見たことのないような平原が広がりつつあった。
三日月は大きく中天を旋回し沈みつつあった。
地平線に辿り着く頃には、黎明になっているだろう。
サナギから生まれてくるあなたに、早く会いたい。
エンジンは休むことも知らず轟音を発し、
まだらの蛇はいざなうように、どこまでも真っ直ぐ伸びている。
----------国境まで、あとほんの少し
1998年12月04日:
田村
1993年06月25日:渡豪10ヶ月前に当時の心象風景を綴った雑文。
個人的に好きなので、思い出しつつ書き直して雑記帳に97年3月6日にUPしました。その後、埋もれていたオリジナルを発掘して読み比べてみると、オリジナルの方がずっと切迫感があって出来がいいのでオリジナルと差し替えます。