
辻田和史さんのラウンド通信
バナナ&マンゴーファーム@QLD・アサートン
辻田さんからのメール・MAR/2016
田村さん、お久しぶりです。辻田です。お元気ですか?
早いもので、オーストラリアに来てからもう9ヶ月が経とうとしています。
今現在、ブリスベンに滞在しています。ここに来るまでは、ケアンズからバスで2時間半ほど離れたアサートン(Atherton )というところで、約3ヶ月間ファームジョブをしていました。そこでのことについて報告したいと思います。
シドニーを12月の半ばに出発して、ケアンズに着いてから5日間ほど過ごしたあと、harvest trailを参考にして、とりあえずアサートンに特に理由も無く行くことに決めました。ケアンズには2日間だけいるつもりだったんですけど、ケアンズの雰囲気が気に入り、そんなにお金に余裕がないのにも関わらず、5日間いてしまいました。
アサートンに着いてから、バックパッカーを見つけて、とりあえずここに泊まって、滞在している人たちに仕事について聞こうかと思ったんですが、着いた日が土曜日で、近くにいた女性に「毎週土曜日はオフィスが閉まってるから明日まで開かないよ」といわれ、その日は近くのモーテルに泊まりました。1泊100ドルするモーテルで、かなり痛い出費でした。
次の日、再度そのバッパーに行き、チェックインをお願いすると、受付の女性に「ここはワーキングホステルで、ファームで働く人たちのための宿泊施設だから、泊まるなら働かないといけないよ」と言われ、当然仕事を探している自分にとっては願ってもない話だったので、すぐに了承しました。そのあとマネージャーの韓国人の男性が出てきて、予約せずに来たことにものすごく驚かれ、3回も「予約してないの?」と聞かれました。次の日から早速働くことになり、仕事がすぐに見つかった嬉しさはありましたが、あまりにもあっさり見つかったので、ある程度苦労することを覚悟していたこともあり、ちょっと拍子抜けした部分もありました。
翌朝、4時半に起きて、M.Serraというバナナファームでの仕事が始まりました。
僕はスタッキングという、バナナの箱を積む仕事をドイツ人の男の子(ルーカス)と2人ですることになったんですが、これがもうめちゃめちゃきついんです。絶え間なくバナナの箱が流れてきて、バナナはビニールバッグに包まれているんですが、そのバッグの口を縛り、量りに乗せて、カバーをして、パレットに載せる。カバーは2種類あり、重さによって被せるカバーが違います。他にも、パッキング用の箱を作って、それをパッカーに送ったり、カバーを補充したりと、たくさんのことをやらなければならず、もうパニックでした笑。素早くスムーズにパレットに載せていかないと、どんどん箱が溜まっていくのですが、初日で覚えることもたくさんあり、ミスしたりとうまく行かないことも多く、それでも容赦なくやってくるバナナボックスが怖かったです笑。
初日の仕事が終わり、自分のアコモデーションに戻ると、へとへとの自分とは対照的に、みんなほんとに仕事終わりかっていうぐらい元気で、キッチンで歌いながら料理を作ったりしていました。彼らに、なんの仕事をしているのか聞くと、「マンゴーファームのShedでマンゴー押してるよ」とか「マンゴーの幹を折ってるよ」など、ものすごくイージーな仕事ばかりで、後で聞いた話では、M.Serraはホステルが紹介する仕事の中できついファームで有名らしく、相変わらず俺運悪いなーって思いました。みんなには、「マネージャーに言えばファーム変えてもらえるよ」と言われたんすが、まだ1日目だし、変なところで負けず嫌いなので、続けることにしました。
とはいうものの、最初の3日、4日は働いている間は水を飲む余裕すらもなく、ひぃひぃ言いながらやっていました。休憩時間にがぶがぶ飲む水がもう美味しくてたまらなかったです笑。年末年始の休暇前の忙しい時期で、一日14時間とかいう日もあり、毎日仕事中、何回も「これはもう無理だ。明日は休みもらおう」と思っていたんですが、その日の仕事が終われば、「いや、ここで諦めたくない、がんばろう」と思い直す日々でした笑。
ルーカスはもう6週間ほどこの仕事をしていたみたいで、一つ一つの作業がとても速く、彼には本当に助けられました。彼が言うには、自分が来る前の、その6週間の間に10人ぐらいの人が来たらしいんですが、みんな解雇されたかギブアップしたそうです。
10日ほど働いた後、12月26日から、そのファームが10日間の休暇に入り、その間はイングランド人、スウェーデン人、フランス人とホステルが紹介してくれたマンゴーファームでピッキングの仕事をしました。ピッキングとは言っても、僕の場合は、マシンの上にのり、流れてくるピッキングされたマンゴーの幹をずっと折るという仕事でした。バナナファームと比べるともう全然楽で、給料もほぼ同じなのですが、これでこんなにもらっていいの?とちょっと申し訳ないなとまで思いました笑。
ファーマーの息子の15歳の男の子と一緒にこの仕事をしたんですが、働きながら日本についていろいろ聞かれ、あまりうまく答えられない時もありましたが、英語でいろんな話ができたのは良かったです。
このワーキングホステルでは、毎晩8時ごろに次の日のシフト表が貼り出されるんですが、1月のある日、シフト表を見ると、M.Serrraの文字が。「うわーついに始まったかー」と思ったのですが、M.Serraのところには、僕ではなく僕のルームメイトのドイツ人の男の子(イリアス)の名前が。僕は引き続きマンゴーファームでした。絶対に自分が行かされると思ってたので、もう嬉しくてしょうがなかったです笑。
ところがです。次の日、仕事が終わったあと、ホステルのマネージャーから連絡があり、話があるからオフィスまで来て欲しいとのこと。ものすごい嫌な予感がしました。そして、その予感は当たっていました笑。マネージャーに「M.Serraが君にまた来て欲しいって言ってるんだけど、そこでまた働いてくれないか?」と言われ、「でも、今はイリアスが働いてますよね?」と聞くと、「彼はクビになったよ」「え??」と唖然としました。
もう二度とそこでは働きたくないと思ってたんですが、元々何か頼まれた時に断るのが苦手で、向こうが自分を必要としてくれているということが少し嬉しかったこともあり笑、しぶしぶ働くことにしました。
翌日、そのファームについた時に、入口を見て憂鬱な気分になったのを覚えています笑。
12月に一緒に働いていたルーカスはもう辞めてしまっていたので、代わりにイタリア人(マッテオ)と一緒に働くことに。今まではルーカスがこの仕事を引っ張ってくれていましたが、今度は自分がリードしないといけないなーと、ちょっと緊張していました。しかし、2日後に、マッテオをピッキングをしているドイツ人(エイドリアン)と入れ替えると言われ、彼ともそれなりにうまくやっていたんですが、2週間後、突然エイドリアンが解雇され、次は韓国人の男の子(ション)と働くことに。が、彼は働くスピードが遅く、1日でクビに・・・・・・。
今度来たのはルームメイトのベルギー人の男の子(ピエロ)。けっこう小柄な子だったので、厳しいかなーと思っていたのですが、全然そんなことはなく、むしろ、今日がほんとに初日なのかと思うぐらいの働きぶりで、説明も1回しただけで、全て覚えそれを素早く完璧にこなし、言わなくてもやってほしいと思ったことをやってくれて、天才ってこういう人のことを言うんだなって思いました笑。間違いなく彼がこれからここで一緒に働くパートナーになるだろうと確信しました。
しかし、ハプニングが起こります。彼と一緒に働き始めて3日ぐらいしたあと、フランス人の男の子(カイ)がスタッキングの仕事に加わることになりました。自分は、バナナのカッティングとスタッキングの仕事を掛け持ちすることに。基本的にはピエロとカイがスタッキングで、彼らが忙しくなった時に自分がヘルプにいくという形で働いていたんですが、自分がカッティングしているときに、カイが疲れからか、途中から箱の中のバナナのビニールを縛らず(この縛る作業はなかなか大変なんですよね)、そのままカバーをし始め、それをスーパーバイザーに見つかり、解雇されてしまいました。
それだけならまだ良かったんですが、ピエロも巻き添えをくらうかたちでクビにされ、彼は本当に良く働いてくれていたのでショックでした。スーパーバイザーに彼を戻して欲しいと頼みましたが、それは決まったことだから無理だと言われました。自分としては新しい人が来るたびに、また一から仕事のやり方を説明しないといけないし、仕事に慣れるまである程度時間もかかるしで、勘弁してほしかったです。
次は誰が来るのかなーと思っていたら、今度は2つ年上の日本人(ゆうきさん)と働くことに。ゆうきさんは自分とアコモデーションは違いますが、同じワーキングホステルにもう4ヶ月ほどいる人で、10箇所以上のファームで働いたことがあるらしいんですが、M.Serraが一番きついと言っていました。ほぼ毎日自炊をしていたらしいんですが、ここで働き始めてからは、しんどいから何も作る気になれないと外食が多くなっていました笑。
やはりお互い日本人だけあって、すごく働きやすかったですね。スタッキングは仕事が始まると本当に忙しくなるので、少しでも負担を軽くしようと休憩時間中も1人で働いていたのですが、ゆうきさんが来てからは一緒に働いてくれて、日本のカルチャーを感じました笑。
ゆうきさんと働き始めて約1ヶ月後にシドニーとメルボルンにいる友達に会うため、自分は辞めることになったんですが、今思えばここで働けてよかったかなと思います。働きはじめの頃はもうほんとにしんどくて、「クビにしてくれ、そしたら他のファームで働ける」と思ってたんですが、働いているうちに、慣れてきたということもありますが、それ以上に体力がついきて、最初ほど疲れなくなってきたんです。「これいい運動になる」、「お金もらいながら運動させてもらってるラッキー」と思うようになりました笑。結果的に、足腰が鍛えられ、腕の筋肉がびっくりするくらい付き、少し気になっていたお腹も減っ込みました笑。
ちなみに、アサートンを去ったあと、ゆうきさんから連絡があり、自分のあとにきた人は2日で解雇されたそうです。
集団の中の居心地発見
次に、ファーム以外での生活について、少し書きたいと思います。このワーキングホステルは、アコモデーションを2つ持っており、1つはバックパッカーで、もう1つは昔ホテルだったところを借りて、ワーカー用の宿泊施設にしていました。
チェックインしたあと、自分はそのホテルの方に滞在することになりました。
部屋まで案内されると、4人部屋でしたが、来た当初は自分だけで、荷物を降ろして部屋でくつろいでいると、隣の部屋からものすごい音が。その後しばらくして、1人の男の子が入ってきました。これが、ファームのところで出てきたドイツ人のイリアスとの出会いでした。「2段ベッドの上で寝ていたら、ベッドが崩れ落ちて壊れたから、この部屋に移動するから」とのこと。その3日後にはフランス人、1週間後にファームで一緒に働いたこともあるベルギー人(ピエロ)が入ってきて、夜寝る前にこの3人と話をするのが毎日の楽しみでした。ファームが休みの日にはみんなでドライブに行ったり、BBQしたりと楽しんでいました。
ここに来て約1ヶ月半後、ルームメイトが皆、ほぼ同じ時期に出ていくことになり、自分は部屋を移動することに。
新しいルームメイトは2人のイタリア人でしたが、2人ともほとんど部屋におらず、イタリア人のグループのところにいつもいたので、話はしますがそんなに仲良くなることはなく、話し相手がいなくなってしまいました笑。
ホテルには日本人は僕だけだったのですが、バックパッカーの方には、日本人の男女が6人いて、たまたまチェックインの時に会って自己紹介して以来、ほとんど会っていませんでした。でも、仲の良かったルームメイトもいなくなり、せっかくの機会だし、会いにいくかと思い、ファームの仕事が終わったあと、バッパーの方に行くようになりました。
バッパーの前にいくつかテーブルとイスがあるのですが、ほぼ毎日彼らはそこに座っていました。最初は人見知りのせいで、そこに入るのに緊張していましたが、だんだん仲良くなり、最終的にはみんなの中にいるのがものすごく居心地がよくて、楽しくてしょうがなかったです。人(特に学生)はみんな一定のグループを作ってそれに所属していると思うんですが、自分の場合、今までグループの中にいてもそこに所属している感じはなく、集団の中の孤独というのを嫌というぐらい経験してきたので、人でテレビとか見ていたほうが気楽で楽しいとずっと思っていたのですが、彼らに出会って、このグループの一員になれている思うことができ、この歳になって、人と一緒にいるのって良い、1人でいるより楽しいと思うようになりました。
自然と自分が言ったことに笑ってくれる、突っ込んでくれるっていうのが新鮮でうれしかったです笑。自分がものすごく話し好きだということにも気づいたし、こんなに言いたいことが言えている自分に驚きもありました。彼らとの出会いのおかげで、自分がどんな人になりたいのか、どういうキャラ?で生きていきたいのかを知ることができたように思います。ただ、慣れてないのか、こういう環境にいる自分、みんなと楽しんでいる自分に違和感を感じる時があるんですよね笑。話がそれましたが、彼らとほぼ毎日一緒にご飯を食べたり、ケアンズまでドライブしたり、BBQしたりと本当に良い時間を過ごせました。
毎日楽しかったのですが、ここでの生活やファームの仕事にもすっかり慣れ、来た頃のドキドキやワクワクはもう全くなく、同じ場所に長い間いるのももったいない、もっといろんなところに行って生活したいと思っていたので、日本の友達がシドニーに来るタイミングで、ここでの生活を終えることにしました。
彼らともっと一緒にいたかったし、ファームでもそこそこ稼げていたので、迷いはありましたが、このまま変化のない環境にいてもつまらないなと思い移動することにしました。ただ、出る直前になって、いろんな国からたくさんの人が入ってきて、彼らと仲良くなり始めた頃に出ていくことになったので、それがちょっと残念でした。
最初の方にも言いましたが、今はブリスベンにいて、ケアンズにいた時みたいにどこか適当に町を選んでまたファームを探しに行こうと思っています。久しぶりに長い文章を書いたので、読みづらいところがあるかもしれませんが、以上が報告となります。ありがとうございました。
身体に気をつけてお過ごし下さい。
辻田和史
返信補足
>>内容的に言えば、いやあ、いいラウンドしてるなーってことで、まさか自分が、ピッキングの相方の能力に一喜一憂するとか思ってなかったでしょう?
そうですね。確かに「まさか」です笑。
働き始めのころは自分もかなり遅かったと思うんですが、よくクビにならなかったなと今になって思います。必死だったのでそれが伝わったのかもしれません。
>>日本人の良い人達に巡りあえ、居場所を見つけるなど新発見があったりして、実り多いですよね。それだけでも来た甲斐があったというものでしょう。
こっちに来る前から、外国人の友達以上に、日本に帰ってからも付き合いを続けていきたい日本人の友達ができたらいいなと思ってたので、そう思える人たちに会えたのは大きいですね。
今まで気付かなかった自分の一面を知ることができたのも本当に良かったです。
>そういうことって学校時代は無かったのですか?
そうですね。アプラックの人達を含め、SCEでの出会いも自分にとって良い出会いでしたし、学校も毎日楽しかったです。それは間違いないです。
ただ、シドニー時代は特定の誰かとずっと一緒にいるわけではなく、いろんな人と関わっていたので、広く浅くの関係が多かったんですよね。みんなバイトだったりで都合が合わず、学校の後や休日に一人で過ごす日も多かったです。
でも、ファームでは一緒にご飯食べたり、飲んだり、週末は遊びにいったりと、ほぼ毎日同じ人達と顔を合わせていたので、やはり親密度でいうとファームで出会った人たちの方が深いです。人数の多いグループ(4〜5人以上)の中で自分がみんなの話に加わる、自分らしさが出せるというのは今までほとんどなかった経験なので、それができていたことも大きいです。
もちろん、これまで出会った人達とも楽しい時間を過ごせましたし、良い仲間なのは変わらないです。今回は集中度や密度が格段に違ったので”新発見”までいったという感じです。