2001年Mattieの三大ニュース


私事ですが、学生の頃から毎年、年の暮れに友人とその年にあった自分にとっての3大ニュースをあげて、一年間を振り返っています。2001年の3大ニュースは、未確定多数の方と分かち合おうと思います。



第1のニュース:ネットを通して初の研修アレンジ

   

第1のニュースはネットを通して、初めて正式な看護研修のお手伝いをしたことです。今までにも個人的に病院見学をしたい、研修をしたい、大学について知りたいというメールはたくさん来ていました。

特にワーキングホリデーでオーストラリアへ来ている元看護婦さんからの問い合せが多いのですが、ワーキングホリデーで来ている人は経済的余裕がない人が多く、一人の参加に対して病院で組織だって研修を組むことは難しいため、お断りしていました。

何人かの経験看護婦さんには、私の仕事中や週末にこっそり病院見学をしていただくこともありましたが、何の質問もなく、その後日本へ帰ってからも連絡なしという人が多く、せっかく自分の時間を割いて、時にはうちに泊まってもらったり、車で迎えに行ったりしているのに何も得るものがなくがっかり。

最初は少しでも日本の看護婦さんの力になりたいと思いましたが、慈善事業をやっているわけではないので、時分の時間を割いて会って、何のプラスもないとこんな事を続けて一体何になる不だろう?と考えてしまいます。ただ病院を見たいだけならわざわざアデレードまで来なくてもいいのに…。

また問い合わせがあって、それにふさわしい研修先を見つけ連絡しコストを問い合わせ、それを連絡してから返事がなくなる件も何度かあり、こちらから問い合わせると「やっぱり行けません」、「他の研修に行くことになりました」という返事で、どうしてすぐに連絡してくれないのか?と思うことも多々ありました。

アデレードは日本からの研修がビジネス化されていないので、今まで、糖尿病協会、訪問看護専門施設,ナーシング・ホーム、スポーツ医療専門施設、大学など訪問し、お話しを聞いたり見学をさせていただきましたが、費用を要求する所は少なく、訪問後に、参加された方にいくらかの寄付金をお願いして礼状と共に渡すというのが私のやり方です。

そのため、私も正式にアポイントメントを取って、担当者に会いに行ったり、正式書状でお願いしたりと大変時間と手間がかかる作業です。

色々な事情で来られなくなることはわかるのですが、突然、連絡がなくなり、こちらから問い合わせるまでその旨を連絡してくれないというのは、とても迷惑な話で、頭に来ることも何度かありました。そんなわけで、最近は必ず来るという方のお手伝いしかしていません。

ネットで知り合った方で長く交流が続くのは、大学院や勉強している看護婦さんやDr、 大学の教授等に多いです。

一般の看護婦さんの中には、いろいろと問い合わせをして、こちらは一つ一つに丁寧に答えているつもりですが、その後、パッタリ返事がなくなるというパターンが多いですね。

さて、前置きが長くなりましたが、2001年は、まず3月に東大の教授等のグループが高齢者ケアとインフェクション・コントロールの研究に来られて、施設見学のアレンジと通訳をさせていただきました。

依頼が来てから、何度か具体的な内容にについて問い合わせその要望にもっともふさわしいと思われる施設と連絡を取り見学をアレンジするわけですが、その度に新しい出会いがあり、また訪問のたびに私自身学ぶことが多く、大変緊張しますが満足感も多い体験です。

11月には神戸の看護婦さんグループ7人が、医療事故対策についての研修に来られ、リスク・マネメージャーと病院専門弁護士を講師に講習があり、日本の医療訴訟の現状を聞くことができ、とても勉強になりました。またいい方ばかりでとても楽しく過ごすことができました。

11月末には札幌医大の病棟婦長さんがブリスベンへ研修に行く前に、アデレードに立ち寄ってくれて、大学を終えたばかりの私は、このNさんとアデレード観光を楽しみました。

Nさんには、短時間の病院見学をしていただきましたが(準夜の夕食の休み時間)、たくさん質問があり、少しは役に立てているなという手応えを感じました。

ホームページを見てどこの馬の骨とも知れない私のことを信用してきてくださるのですから、ありがたいことです。そして、幸い皆さんとてもいい方ばかりで本当に恵まれていました。そしてうれしいことに、参加者の方と今でも交流が続いています。



第2のニュース:父が初めてオーストラリアへ来た

2つ目のニュースは、父が初めてオーストラリアへ来たことです。私はこちらに来て10年になります。他の友人たちは、皆、ご両親が遊びにきた話をしているに、私の両親は「アンタが帰ってくればいい。」とか「来年、行く」とか「犬の面倒を見る人がいない」といって一度も来たことがなかったのです。

そんな2000年の11月末、母が突然、腎臓癌の肝臓転移を発見され、少し元気が出た2001年始め、「今年こそは行く」と張り切ったのですが、その夢かなわず3月に他界してしまいました。それで父こそは元気なうちに呼ばなくてはと、ようやく7月、10日間のシドニー・アデレーード旅行に来たのです。

若い頃は海外旅行を随分していた父ですが、ある年、パリについた夜、祖母が危篤になり、大急ぎで引き返してこなくてはならないという経験をしてから、海外旅行をすかっりやめてしまいました。久しぶりの旅行をそれなりに楽しんで行ったようですが、一人で長時間、飛行機の中で過ごすのは苦痛のようで、しばらくはもう来なくていいといっています。



第3のニュース:大学院を終えた

   

そして3つ目のニュースは、大学院を終えたことです。思えば長い道のりでした。勉強は大変だけどそれなりに面白く、働きながらずっと続けてました。学位を取ってから、大学院に行くべきかどうか迷いましたが、新聞を見ていると今後、高学歴の学費はどんどん値上げするという旨が出ていて、それじゃあ、値上げしないうちにやっておこうという不純な動機でやっと決心したのが1998年です。

一年目は、週4日働きながら2‐3教科を取り、もう大変で大変で頭がパンク状態でした。また、採点が非常に厳しく、学位の時はこのくらいやったらかなりの点を取れたのに、同じくらいやってもまあまあの成績しか取れずくじけることも多々ありでした。

何と日本人の看護婦さん2人と同じクラスになり、友達になろうとそれなりに努力したのだけれどあまり親しくなれず、ちょっとがっかり。クラスのある日は、早起きして4合のご飯を炊いて、おにぎりを3人分持っていったりしたけれど、結局は、その後は音信ないままで終わる仲でした。

それにしても、留学生の人達は英語にハンデがあるのに、フルタイムで勉強しそれぞれの学期で4‐5教科取っていて、よくやるものだと感心してました。お金と時間に限りがあるため何が何でも終わらせようとがんばっていたようです。私は急いでやることよりも、自分が納得するだけ深く勉強することを選びました。

私はこの最初の一年が終わってから、勉強がもういやになって、そしてあまり仲良くなれなっかた人とも会いたくなかったし、大学の講師にもがっかりしたり…で一年間休学しました。そしてようやくまた勉強に戻ろうとした矢先、母の病気を知り、また半年、休学したのです。2000年の後期から、また勉強を始め、2001年11月に最後の修士論文を仕上げ、ようやくMaster of Nursingを終了しました。今年から大幅に学費が上がるらしく、今から勉強を始めようと考える場合、たぶんしないほうを選んだだろうと思います。何はともあれ、2001年は、いい年でした。2002年も地道にがんばろう。


2002年1月7日 Mattie

★→MATTIE'S HOMEPAGE のトップに戻る
★→APLaCのトップに戻る