オーストラリア医療・看護 豆知識

cultureショック No2


イギリスの看護 2003/02/05

2002年11月にロンドンへ行った。同じ病棟で働き仲良くしているフィリピン人のナース、ジャスミンがどうしてもヨーロッパへ行きたいと言い続け、とうとう6ヶ月契約でロンドンの病院で働くことになったからだ。

ジャスミンに限らず、沢山のオーストラリアの看護婦は簡単に仕事をやめてロンドンへ行って働き、お金を溜めてはヨーロッパを旅行している。イギリスの看護婦不足は深刻で、オーストラリアの新聞や看護雑誌に看護婦募集の広告が載っており、イギリスの看護婦登録(書類審査)をするには6カ月と時間がかかるが、一度登録するとイギリスで働くことは簡単である。


ジャスミンは半年のフルタイム契約で、その病院はイギリス−オーストラリア往復の航空運賃を出してくれたというのだから、どれだけ看護婦の需要が大きいかがわかる。私はジャスミンと一緒に旅行する目的でジャスミンの6カ月の契約が終わる10月にロンドンを訪ねた。

さて、ジャスミンはフィリピン人であるがすでにオーストラリア国籍を持つオーストラリア人である。彼女はフィリピンの看護大学で4年間勉強して看護婦の資格を取り、その後オーストラリアへ移民してこちらの資格を取った。

看護婦経験は15年以上のベテランである。私達は、Adelaideの病院の脳外科病棟で一緒に働いていた。そして、ジャスミンの就職先はテニスで有名なウィンブルドンにある公立病院の脳外科病棟だった。


10歳の一人息子をオーストラリアへ残していったジャスミンは、初めは息子が恋しく、また病院の古さ、看護婦寮の古さと汚さに怒り、「看護もオーストラリアより20年は遅れていて、車椅子は一世紀前のものを使っている。」などとかなり落ち込んだ手紙を書いてきていた。しかし、その後フィリピン人のナースと友達になり、だんだん生活が楽しくなっていったようだ。

オーストラリアの看護経験を持つジャスミンは病棟婦長にあたるポジションをもらい、毎日がチームリーダーで患者を直接受け持つことはなかった。一緒に働くフィリピンのナースは同じフィリピン人でジャスミンのような高い地位にあるナースと会ったことがなく、皆自分を尊敬してくれると、ジャスミンががんばっている様子が伝わってくるようになった。

ロンドンに着き、落ちついてからジャスミンの病棟をこっそり見学に連れて行ってもらった。まず驚いたのは、ナースのほとんどがフィリピン人とアフリカ人であることだった。白人のナースも数人みかけたが、多くはオーストラリア人の若いナースで、短期間の滞在で旅行目的で来ている人達だった。

イギリス人のナースは本当に数えるほどしかいないのだ。(上記の文に人種差別の意図は全くありません。事実を述べているつもりです) 2002年の後期に出たオーストラリアの看護雑誌、Australian Nursing Journal にイギリスの看護は90%が外国人看護婦であるという記事を読んでいたが実感としてわかっていなかった。ジャスミン自身もあまりに沢山のフィリピン人が働いていて驚いたと言っている。


ジャスミンの看護婦寮であったナースに聞いてみると、フィリピンでは4年間アメリカ英語で勉強して看護婦となるが就職先が少なく、看護婦の30%位しか現地で就職できないという。そのため国を出たがらない10%は失業し60%は卒業後、海外へ出るという。

これはそこで働く若いフィリピン人ナースのミリーの話で統計的にどの位正確といえるのかは定かではないが、アメリカやイギリスでたくさんのフィリピン人ナースが働いていることを考えるとこの数は的を得ているのかも知れない。海外へ出る看護婦のほとんどはまずサウジアラビアで働くらしく、ジャスミンの寮で12人のフィリピン人ナースに会ったが、そのうち10人はサウジアラビアで看護を経験してきていた。

しかし、フィリピンでの勉強やサウジアラビアの看護経験はイギリスでは正式に認められず、看護学生三年生の扱いを受けて、新卒の正看護婦として登録するために看護コースを取って働きながら勉強していた。その後の昇給も、様々なコースを取って勉強し、看護部長に申請して認められなければないという。


フィリピンの人は働き者だ。私がジャスミンと仲良くなったのももちろんアジア人同士ということがあっただろうが、それ以上にジャスミンが非常に働き者で、患者さんにも優しく尊敬できたからだ。

このように海外でがんばるフィリピンのナースを見て、日本人も英語さえできればいくらでもイギリスで働くことが可能だろうと思った。ミリーの話だと最近はフィリピン人ナースが日本へ介護士として働きにでているという。

さて、イギリスの病院であるが、ジャスミンの働く病院は古くて、見た目には日本の古い公立病院という感じだ。ピータイルの廊下は日本より幅が広めだが6人部屋の広さなど日本ととても似ていた。

看護そのものの基本は同じであるが、マニュアル・ハンドリング(患者移動の技術)やリスク・マネージメント(危機管理)などは、オーストラリアよりかなり遅れているという印象を受けた。たった一つの病院を見て安易に判断はできないが、他の病院で働くナースとも話してそう感じた。

日本は入院施設を持つ小さな医院が多く、地域差も大きく全体のスタンダードを上げることが非常に難しいのが問題であるが、最近の看護大学増加に伴う看護研究の進歩はめざましい。今後、日本の看護がイギリスの看護を越えていく日は近いなと感じた。


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