オーストラリア医療・看護 豆知識


カルチャーショック No2


訴訟社会のツケ 2002/06/03

1995年10月8日付けのアデレードの日曜新聞、Sunday Mail に医師にたいする訴訟ケースが出ている。それによると訴訟件数が急激に増えており、6年前に比べ80%の上昇で1200件に昇った。 

1994年に話し合いで決着した件の総費用はA$400万ドル=4億円(A$1ドル=100円の計算、円は外国為替交換場ではもっと強いが、実際の生活レベルで見ればこれが妥当な交換レイトであるし、計算もしやすいのでこれを使う)に達したという。

そのため医師は、自分が訴えられたときの補償のために保険に入らなければならない。当時(1995年)の保険金の掛け金は、一般医・家庭医(General Practitioner)で年間、A$1450ドル、外科医で年間A$12000ドルだという。


オーストラリアで最大の医療従事者保険会社, United Medical Defenseは、最も多い苦情は診断ミスだと発表している。そして訴訟の増加は、一般の人が「個人の権利」に気付き始めたこと、訴訟の高額な支払いに魅了された人が訴え始めたこと、弁護士が訴訟を促進させていることなどが影響していると述べている。弁護士の中には勝訴しない場合は一切費用を取らないと宣伝している者もいるという。

アメリカのように損害賠償マニアも出てきて、非常に些細なことで訴訟が起こるようになってきている。医師は訴訟に備えて医療記録をしっかり書き、患者にもすべてのリスクについて説明するようになってきた。

しかし医療と看護に最善を尽くし、全力を尽くしても助からない人、障害を残す人はいる。弁護士達は、医療上の過失に対してではなく、このように結果が悪く出た場合に対しても訴訟を起こすよう進めるようになってきているという。


では1995年当時の訴訟例について挙げてみる。

ケース1:医師のクリニックで看護婦に呼ばれた男性(看護婦は別の名前を呼んだのに返事をして出ていった)が、恥毛を半分剃られたことに対し、剃られた恥毛が生えはじめる時に生じる痛みと不快感に対しA$10,000ドル(100万円)の損害賠償を求めA$1000ドル(10万円)の支払いで解決した。

ケース2:医師のクリニックに15分間、鍵を掛けられ閉じ込められた人(医師は救急患者が出たため往診に出た)がA$75、000ドル(750万円)の損害賠償を起こしている(結果は当時の新聞には出ていなかった・・Mattie)

ケース3:脳性麻痺で産まれた男の子とその母親が、医療ミスのよる障害だと訴え、A$4700,0000ドル(4億7千万円)で勝訴した。この病院は倒産した。


さてこれらはすべて1995年度の記事である。

1996年1月13日のアデレードの新聞, The Advertiserによると、サウス・オーストラリアに住む8人の患者が過去2年間にA$500,000ドル(5千万円)以上の賠償金を要求した訴訟を起こしているという。

そしてサウス・オーストラリア州で最も大きい医療従事者保険会社, United Medical Defenseによると、この保険会社が扱った医療訴訟でA$500,000ドルを越えるケースは1988年以降11件あったが、そのうち8件が分娩時の障害で子供に脳神経学的障害が起きたものだという。

普通、大人が医療ミスに対して訴訟を起こす場合、そのミスが起きてから3年以内に訴訟にふみきらなければ無効になる。しかし、分娩障害の場合、その子供がオーストラリアで大人とみなされる21歳になるまで訴訟を起こすことが許される。

そして、賠償金は訴えた者の平均寿命に応じた医療費・介護費が支払われる。つまり勝訴者はオーストラリアの平均寿命で男75歳、女81歳(1996年)、まで生きることを仮定して賠償金が出されるため莫大な額となる。

新聞で読んだ記憶だけで書くので正確ではないが、今年初めに脳性麻痺で産まれた女性が成人してから訴訟を起こし、14億円を勝ち取った。(このうち4億円は裁判や弁護士にかかった金額だという)。1990年代に5千万円で解決していたケースが21世紀に入ってここまで上昇してしまったのだ。

1件でこれだけの額が支払われるわけであるから、保険会社は産科医の保険の掛け金を上げなくてはならなくなった。テレビで産科医の1人が、月々A$7000ドル(70万円)の掛け金を支払っていると話していた。

保険の掛け金だけでこれだけかかるというのだから、かなりの分娩数を取りその元を取るくらい稼がなくてはならない。郊外で家庭医として働き、お産がある場合は分娩介助をしていた何人かの医師は、掛け金が高すぎると、産科医療を一切しなくなったという記事も新聞に載っていた。

そのため小さな病院や郊外、地方の産科病棟が次々と閉鎖されていっている。つまり、お産をする人は皆、大きな街の大病院へ来なければならなくなったのだ。

オーストラリアはご存知のように、めちゃくちゃデカイ国である。地方に住む人が病院へ行くため7‐12時間も運転しなくてはならない。訴訟社会のツケが、僻地の人をますます不利な立場にさせて行くのは残念のことだ。


さて2002年になり、医療訴訟はますます深刻になった。上記のオーストラリアで最大の医療従事者保険会社、United Medical Defense が2002年4月29日、倒産宣告を出した。

2002年6月30日をもって、この保険に掛けていた3万2千人の医師が別の保険会社を探すか、もし見つけられない場合は仕事を休止しなくてはならない。United Medical Defense は政府に補助を求めたが、政府は会社が立ち直るのに必要な額を出すことを拒み、この会社は倒産しか道がない。

問題はこのUnited Medical Defense が、少なくとも40億円の賠償金の支払いが残っているということだ。一体このお金はどこから出てくるのか?政府はどこまで援助するのか?今後、医師達は、医療を続けていけるのか?

医師の数が減るツケは、結局は患者に帰ってくる。患者は医師に診察を受けるためのアポイントメント、そして手術を今以上に待たなくてはならないのか?足りないお金は結局は税金から支払わなければならないのか?

医療訴訟のツケがすべての国民に影響し、オーストラリアは大きな危機を迎えている。


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