ホスピス・緩和ケア特集(5)

寿    命

2004年12月

ホスピスで働いていると、本当にたくさんの死に出会う。と言っても、私が勤務についているときに起こる死は限られているし、私がその勤務で実際に受け持っている患者さんが亡くなるということはそんなに多くはない。しかし、一日に数人の患者さんがバタバタと亡くなったりすることがあるし、普通の病棟とは比べようないほど、死は当たり前のように起こっている。

この間、休み明けで病棟に出ると、私が日勤で受け持った患者さんが三人ともその日の準夜と深夜で亡くなったのを死って驚いた。確かに二人の患者さんは日本で言う「あぶない・・・」」「今晩が峠か・・・?」というような状態だったが、その日に二人とも亡くなるとは思っても見なかったし、もう一人の患者さんの死は予想外だった。


ホスピスでは、たくさんの死に出会うから、死の予測がしやすいのではないかと思うかもしれないが、むしろ一般病棟で死を看取るよりずっと難しい気がする。

ホスピスでは延命はしない。そして命を短くするケアもしない。ただその患者さんが持っている苦しみの緩和が医療・看護の目標となる。精神的、社会的、そして魂の痛みや苦しみからの緩和、家族・遺族へ対するケアもホスピスの大きな特徴であるが、やはり最終的には身体的苦しみをどこまで緩和できるかが、患者さんにとっても家族にとっても、そして医療従事者にとっても一番大きい・・・と私は感じる。痛みで七転八倒している人が、家族のこれからのことを心配したり、人生で遣り残したことを悔いたり・・というような余裕は持てないと思う。


私がホスピスで働いて、すばらしいと思ったのは、患者さんが「痛みがある。」と訴えたり、家族がそばで見ていて「なんだか辛そうだ。」「意識はないけれど苦しんでいるようだ。」というような時、「次の痛み止めは、あと2時間後でなければ投与できません。」などと言う必要がないことだ。

痛み止めは、モルヒネ・人口モルヒネを中心にかなり強い麻薬が使われるが、一度に投与できる量は非常に微量で、それを必要であれば一時間ごとに注射や経口で使うことができる。そして、いくつかの痛み止めと同時に、微量の鎮静剤もいくつか一時間ごとに投与できるようオーダーが出される。だからナースコールが鳴って、痛みやその他の症状の訴えがあったとき、患者さんや家族に「何もできません。」と言う必要がない。

多くの場合、麻薬Aは、あと一時間待たないと投与できないが、別の薬を与薬できることになる。強い麻薬を投与しても患者さんが辛そうなとき、微量の鎮静剤が、患者さんをリラックスさせ、痛みを緩和することが良くある。そして、訴えがあった時、必ず何らかの形で対応できるということは、患者さんや家族、そしてナースの心の負担を大きく緩和する。


こんな微量の薬で本当に効き目があるんだろうか?と思うこともあるが、多くの患者さんはもうほとんど食事も取らず、水分だけわずかに取っている人や、中には、ほとんど経口から何も取っていない人も多い。

末期で衰弱し、栄養状態が低く脱水にもおちいっている患者さんには微量の痛み止めや鎮静剤がかなり良く効く。もちろんそうでない患者さんもいるし、何をしても痛みや吐き気をコントロールできず苦労するケースもたくさんあるが・・・・。


ホスピスに働き始めたときは、これら麻薬や鎮静剤が、衰弱した患者さんの死を早めることに関係しているだろうな〜と思ったし、それが全くないとは今も言えない。でも、もうあの人は長くない・・・・と思った患者さん、私だけでなくほかのベテランのナースも皆、そう感じた患者さん、もう2週間近くほとんど食べず飲まずで、意識もないような患者さんが、その後、3日、4日・・と生存したり、昨日まで話をしてコーヒーを飲んで、笑っていた患者さんがその夜にポックリと亡くなったりするのを、何度も見かけた。そして、これがその人、一人一人に与えられた寿命なんだろうな〜と感じる。

時々、死に際にそばにいたいという家族が、「今晩泊まった方がいいだろうか?」と聞いてくることがある。その時、私は絶対に、「今晩は大丈夫だと思います。」とは言わない。「私達は死の予測はできないので、心配だったら泊まった方がいいと思います。」と答えるようにしている。

それしても日本では、今朝、意識があって話をして笑っていた人が、その晩に亡くなるというような経験はしたことがない。以前、日本で誰にも迷惑をかけず、苦しまずにポックリと死にたいという人が、ポックリ寺へお参りに行くのが流行ったことがあったと思う。無理な延命をしないと、患者さんは自分の寿命にしたがってホスピスでポックリと亡くなることができるのかもしれない。


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