ホスピス・緩和ケア特集(4)

ホスピスで働くということ

2004年9月

ホスピスで働いているというと、「大変ね。落ち込むでしょう?」、「私には絶対にできないわ。」とか「ホスピスで働いている人は特別だわ。」とか、看護職の人や一般の人からいろいろなことを言われる。これは日本人とかオーストラリア人に限らず、皆、同じような言葉を口にする。国にかかわらず”ホスピス”は特別なところという印象があるようだ。

私は日本の看護学生時代からガン看護、特に末期患者さんのケアとホスピスに興味を持ち、オーストラリアへ来てからも大学でずっと緩和ケアについての教科を選択し勉強してきた。特に告知についての疑問がいつも頭の中にあった。真実を告げないことが本当にいいことなのか?それは”日本文化”という特別な環境ではむしろ勧められることなのか?日本人の多くは自分にはガンを告げてほしいが、家族がガンになったら絶対に告げないという、この心の深層は一体どこから来るのか?宗教が告知に影響を与えているのか?ガンを告知された人は本当に希望を失ってしまうのか?

私は日本人が西洋人に比べて特に弱いとは思わない。むしろ忍耐力などはずっと強いと思う。それなのに、なぜ「ガン」という病気だけ特別扱いされるのか?他にも大変な病気はたくさんあるのに・・・。患者さんにとって一番大切なことは何なのか?・・・・などの疑問につながり、アメリカ、イギリス、カナダなどのリサーチ文献を元に勉強してきた。


アデレードには公立と私立の二つのよく知られたホスピスがある。しかし、私は、実際にホスピスで働くことは、実はずっと躊躇していた。いろいろな人に言われたように、ホスピスという死が日常のように訪れる環境で毎日、働いていけるかどうか自信がなかったのだ。また、これからずっと看護を続けていくのだから、ホスピスケアに入っていくのはもっと年を取ってからでもいい、精神的にも肉体的にも元気な今は、急性期の外科看護などを積極的にやっていきたい感じていた。

ところが、C病院で放浪ナースとして働いていたら、たまたまホスピスに空きが出て、どうしようか?と随分迷い、結局、このように空きが出るのは珍しいことなのでチャンスが逃さないようにと、思い切ってホスピス病棟の一員となった。(しかし、その後、病棟婦長が変わり、その後は新しいナースがどんどん雇われるようになった)


実際にホスピスで働いてみて感じたことは、確かに死は日常として起こっているが、それがものすごく悲しくて落ち込んでしまい、働きに行きたくない・・というようのことは決してないということだ。むしろ、仕事にでて、誰かの死を知るとホッとする。「ああ、ようやくGさんは楽になったんっだ、良かった。」という安堵感の方が強いのだ。また、自分の勤務中で自分が受け持っている患者さんが亡くなることはそんなに多くはない。夜勤では一晩に2−3人亡くなることもあるようだが、私はそんな経験はない。


一般の病棟にもやさしくてすばらしいナースがたくさんいるし、私が一般病棟で働いていたときも、ナースの多くは一生懸命その患者さんのことを考えてケアし、末期の患者さんを看取っていた。しかし、一般の人は明らかに「ホスピス」を特別なところだと感じているように思う。亡くなった後、家族から送られるサンキューカードの数や感謝の言葉、寄付金はホスピスにいるほうが圧倒的に多い。確かに、ホスピスは、一般病棟の倍の看護時間を与えられるので、受け持つ患者数が少なく、その分、家族との対応がしやすいことは事実であるが・・・。


DRがすばらしいのもホスピスの特徴かもしれない。結局、日本もオーストラリアも看護師のできる範囲は限られていて、医師の指示がなければできないことが多い。そんな中、緩和ケアで働くDRは皆、本当に親切でどんな細かなことにも耳を傾け指示をくれるし、家へ電話して指示を仰いでも感じがいい。ある日、B医師が患者さんの話を聞きに行き、ベッドに寝ている患者さんの顔の高さに自分の顔を合わせ、目を見ながら話をするため、床にひざまずいているのを見て、感動してしまった。


今のホスピスには、勤続10−15年というナースが多く、定年まじかの人も何人かいる。今は、このような大先輩にいつも頼ることができて働きやすいがこの人たちがいなくなって、新しいナースが入ってきたときに、病棟の雰囲気がどう変わっていくのか?多少の不安はある。まだ、ホスピスで働いてやっと一年。地道にもう少しやってみようと思う今日この頃である。


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