ホスピス・緩和ケア特集(1)

インフォーム・コンセントの意味 

2003年6月

ホスピスで会った84歳のゴードンは、ふさふさの白髪と180cmはある長身をまっすぐ伸ばしてベッドサイドに座りクロスワードに集中していた。顔色は悪いが、普段着のセーターとズボン姿で、何も知らない人が見たらゴードンがホスピスの患者とは誰も思わないだろう。

表情も落ち着いていてナースコールを鳴らすこともほとんどなかった。痛みは日に2回のMSコンチン(モルヒネの錠剤)でうまくコントロールされていた。病名は前立腺ガンとメラノーマだった。


ホスピスの患者さんは、すべて死を迎えるために入院してくるわけではない。末期ガンに伴う痛みや吐き気のコントロール、電解質異常の発見は非常に難しく、その知識のあるドクターでなければ、全く異なった診断をして異なった治療法を使ってしまう場合がある。

うまく症状コントロールができると患者さんはまた物を食べられるようになり退院していく人もずいぶんいる。だから1/3は症状コントロール、1/3はレスパイト(家族や介護者に休んでもらうための一時的施設入所・入院)、そして残りの1/3が死を迎える。(大まかな配分であるが)


それにしても、ゴードンの症状は良すぎる?? 自力で杖も使わずに歩けて、病院の一般食を食べられるような患者さんをホスピスで見かけることは珍しい。どうして入院しているのだろう?といつも思っていた。

一度、ベッドサイドテーブルの上に飾られた写真の話をしたら、「これは2度目の妻で、結婚して5年になるよ。」と教えてくれた。ゴードンは穏やかな口調でゆっくりと話す優しそうなジェントルマンだった。

ゴードンは2人部屋で、私は同室者を何度か受け持ったが、ゴードンは別のナースが受け持ちだったため、なかなかゆっくり話す機会がなかった。


ある日の準夜で初めてゴードンを受け持った。申し送りの後、挨拶に行き、ゴードンのベッドサイドに座った。記録を詳しくは読んでいなかったが、彼が近々退院することは明らかだった。

「ゴードン、退院の予定はどうなっていますか?」と聞いてみた。「ああ、木曜日の予定だよ。今週の木曜日で2週間になるからね。私はレスパイトで入院してきたんだよ。」その後のゴードンの話は、私が全く予期しないものだった。


「私はね、前立腺ガンでずっと抗癌剤療法を受けていたんだよ。しかし、それは苦しいものでね、何も食べられず、夜は毎晩泣いてしまうほどひどいものだったんだ。それが9ヶ月続いてね、私はもうこんな苦しいことは続けられないと思い、ドクターに言ったんだ。もう治療をやめてほしいと。もちろんドクターは治療をやめると病気が進むだろうといったよ。しかし、私はそれで悪くなってもかまわない、今の自分に必要なのは、長さではなくQuality of L ife(人生の質・中身の意)だと言ったんだ。

こうして治療をやめて3ヶ月になるんだが、少しずつ調子が良くなってきてね。妻は緊張と疲れで神経衰弱になって、今、休養中なんだ。明日、私が入院して初めて面会に来てくれよ。私は元気そうに見えるかも知れないが、実はひどい病人なんだよ。」


家族・医療従事者の良くなってほしいという気持ちは計り知れないが、治療の苦しみがわかるのは、それを受けている本人だけだ。いくつになっても、判断力を持った患者さんなら、自分のQuality of Lifeがどうあるべきか決める権利があるはずだ。

その権利を守るためには、医学用語に慣れていない患者さんが十分理解できるような言葉で、すべての可能性を説明する必要がある。ゴードンの場合は、抗癌剤療法を続けることと、中断することによって生じる結果についての説明である。


私はゴードンのドクターを知らない。すばらしいドクターだったかもしれない。しかし、このドクターはゴードンが9ヶ月間、苦しみ、泣き、奥さんが精神的にここまで追い込まれていたことを知っていただろうか? 抗癌剤療法をやめて、ゴードンの調子がむしろ良くなることを予測できただろうか? そして、抗癌剤療法を続けることでゴードンの回復を約束できただろうか?


虫垂炎のように、治療(手術)をすればほぼ確実に回復する病気ならいいが、患者が高齢となり、治療に確信がもてないとき、その治療を受けるか受けないかを決める権利は患者にあるはずである。

インフォームド・コンセントは医師がしたい治療について、副作用や合併症も含めて詳しく説明することではない。どんなに時間をかけて説明しても、それはインフォームド・コンセントとは呼べない。

インフォームド・コンセントとは患者に選択の機会を与えるための情報提供である。日本ではまだまだインフォームド・コンセントという言葉が、空回りしている印象を受けているのは私だけだろうか?


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