オーストラリア看護留学・看護体験談特集

オーストラリア看護留学・看護体験談

カラスの場合

*ペンネーム:カラス
(Adelaide Crows のファン)脳神経外科医
(Mattie注:Adelaide Crows はオーストラリアのフットボールチームの名前)

*留学・海外生活
  • 1990年9月〜1991年7月:Royal Adelaide Hospital, Women's & Children's Hospital (Adelaide)で10ヶ月間、臨床研修。(新規病院開設があり、そこに赴任のため予定より早く帰国)
  • DenmarkのAalborg Hospitalで短期の手術研修。
*英語の勉強歴
  • 高校時代、英検級。
  • 渡豪前、個人レッスンを1年。
  • Australiaに来てからはぶっつけ本番。
 *なぜオーストラリアを選びましたか?
  • 留学の返事が最も早く、医師免許取得可能であったため。(本当は英国希望であったが・・・)
*あなたはオーストラリアで働きたい・暮らしたいという気持ちがあって来ましたか?
  • できればもちろん。
*卒業後、取れた資格
  • 特になし(かなりの手術を助手として経験
*なぜこの病院を選びましたか?
  • 二人、尊敬できる先生がいたから。
*どのように留学手続きをしましたか?
  • 全く一人で行った。(上司と直接交渉、手紙、電話)
  • 上記病院に直接Apply。(限定医師免許取得、各種書類及び州の厚生省みたいなところで面接試験あり)
*日本で得た情報と実際に現地へ来て得た情報が違っていて困ったことはありましたか?
  • やはり英語の会話力。
  • その他、銀行口座でPINナンバーと言われ、理解できず困った。
  • 上の子供は小学校に編入したが、したの子は幼稚園に入れず(年齢が足らず)、英語も日本語もだめになった。
*英語のサポートはどのくらい受けることができましたか?
  • 家族の英語力向上に、長女の学校の友人達が協力してくれた。今は家族の中で私が最も英語が下手です。
*留学中、一番困ったことはなんですか?
  • 先輩意思の一人がアジア人嫌いで、一緒に手術室に入るのが辛かった。しかし、''Funny''の精神を忘れなかったために帰国時、励ましの言葉をもらった。
*留学して一番良かったと思うことは何ですか?
  • 家族共々苦労したことが思い出になったこと。
*卒業後、どうしましたか?
  • 日本に帰り、いわゆる'Consultant'の立場を得た。 (Mattie注:Consultantは専門医のこと)
*卒業後、オーストラリアでの勉強(経験)はいかされていますか?
  • もちろん。
*これから、オーストラリアへ来たいという人へアドバイスがありましたらお願いします。
  • 明るく朗らかにくみんなと接するとことが最も大事。
  • 日本人を嫌う人たちもいますが、''Funny''であれば、受け入れてくれました。
*その他なんでも結構ですから、何かありましたら書き加えてください。
  • 豪州在住の日本人と知り合えたことは、励みにもなり助けられました。


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