*ペンネーム:ChaCha
*留学・海外生活歴
- 1994年2月〜1996年3月、1999年8月〜2000年3月。トータルで2年9ヶ月
*英語の勉強歴
- 日本にて:1993年1月〜1994年2月 東京の吉祥寺のNOVAで200時間の英会話、同時にTOEFLの通信教育を受けた。
- オーストラリアにて:1994年2月にUniversity of Wollongong(UOW)の付属英語学校のアカデミックイングリッシュコースに入学し、20週間通った。
*看護の勉強
- 1994年7月(英語学校終了直後)〜1996年12月: University of Wollongong(UOW、NSW州)の大学院で公衆衛生、精神保健専攻。
- 2000年1月〜3月 NSW College of Nursing の Overseas Nurses Assessment Program
(Mental Healthでは、RNの資格が取れなかったので)
*なぜオーストラリアを選びましたか?
- 1992年に初めて海外旅行をした国がオーストラリアだった。、それまでは海外に全く興味がなかったが、旅行でパースが気に入り、パースに行きたいと思ったから。
- もともとアメリカには興味はなかったし、イギリスも遠かった。カナダは寒い印象があったのでやめた。
*あなたはオーストラリアで働きたい・暮らしたいという気持ちがあって来ましたか?
- 1994年に渡豪する時に既に、永住したいと思っていた。働きたいと思う気持ちはあまりなかったが、「住むのであればお金がいる、そのために働かなくてはなぁ〜」くらいには思っていた。
*卒業後、取れた資格
- 1996年12月 UOWで Master of Science(Mental Health)
- 2000年3月 NSW College of Nursing でRegistered Nurse(RN=正看護師)の資格をとり、NSW州でRN(List A, Mental Health Nurse)取得。
- RN取得により、2000年11月に永住権取得(その当時の名称は、独立移住ビザ)。
Chachaの裏話 1
余談になるが、1999年9月〜2000年3月まで通ったビジネスカレッジでCertificate
in Tourism の資格を取ったので、航空券のチケッティング(専用のコンピュータソフトで)と世界のわりとマイナーな観光地の紹介が出来る。(アフリカ、中東など→この地域の講義の時に学校に通ったので。ちなみにアメリカ、ヨーロッパ、オセアニアの観光地の紹介は習ってないのでできません)。 |
*なぜこの学校を選びましたか?
- 1993年当時、さほどオーストラリアの語学学校、大学とも日本の留学生獲得に力を入れておらず、唯一University
of Wollongong (UOW) 付属英語学校が東京に日本事務局を持っていた。パースに行きたかったが、英語が殆どしゃべれなかったので、その事務局に行くと看護学部もあるからということで、とりあえず、そこに決めた。そこで情報をとって、必要ならパースの大学に行こうと思った。
- 大学院修了後、経済的な事情で日本に戻ったが、オーストラリアで暮らしたいと思い、1998年に永住権獲得のための査定を受けた。でも、オーストラリアのRN免許の取得が出来ず、アセスメントコース受講を勧められ、一番安く、手っ取り早いこととシドニーになじみがあったので、NSW
College of Nursing に入ることに決めた。
*どのように留学手続きをしましたか?
- University of Wollongong(UOW)の英語学校が最初の留学の学生ビザなどすべて手続きしてくれた。
- NSW College of Nursing には、入学するためのビザがなかなかおりず、交渉は、自分が30%、残り70%は永住権ビザ取得代行会社(永住権の審査委託をそれ以前にしていたため)に委託した。ビザ代行会社から日本で苦情を言っても話にならないから、オーストラリアに来るよう言われ、1999年8月に渡豪。最初は観光ビザ、その後、パートタイムの労働がしたくて学生ビザをシドニーのビジネスカレッジ(日本の専門学校みたいなもの)で(観光を専攻)取った。その時のビジネスカレッジはシドニーの日本人向けのエージェント(ビザ代行会社による紹介)によって紹介され、授業料が規程より安かったことを記憶している(ビジネスカレッジの学生ビザは自分で移民局に行って5時間待って取った)
- 永住権は2000年11月に日本の大使館からおりたが、これはビザ取得代行会社に委託していた。でもRN取得は自分次第なので自分の努力が必要!
*日本で得た情報と実際に現地へ来て得た情報が違っていて困ったことはありましたか?
- 英語学校は、いくら大学付属でも大学と違う機関だと思う。そこで学部の情報を得ても、お客(学生)を獲得することに必死なので、都合のいい情報を流している。私は、大学院で精神科看護を学びたかったが、看護系の情報までは掌握しておらず、「大丈夫、そのコースはありますよ。」と言われた。しかし、その当時、UOWには大学院の精神看護のコースはなかった。自分が甘かったと思う。でもとにかく英語学校には行こうとしていたし、UOWの看護学部にはさほど引かれておらず、入学後、希望のコースがないことを知っても落胆はさほどなかった。
*この学校(大学)を選んで良かった点は何ですか?
- UOWの付属英語学校では、20週学んだが、後半の12週は充実していた。先生も親切で、大学に入ってからも、アサイメントの英語の添削を無料でしてくれた。
- UOWの大学院に精神看護コースがないことを知ったが、他の大学は7月入学のため書類が間に合わず、2月入学まで待たねばならなくなった。一旦日本に戻ろうかと考えていた時、私のことを知っている先生が、「公衆衛生学部に精神保健コースがあるのよ、この5月にそこから初の精神保健の修士号をとった人が卒業するの」と大学新聞を見せてくれた。表紙にはオーストラリア初の精神保健の理学修士号を取得した○○さんと書いた40代のおじさんが写真の中で笑っていた。「ナースでもこのコースに行けるんだ。」と思い、コースコーディネータに会い、そのコースに進むことを決めた。これも英語学校の良かった点の一つ。
- NSW College of Nursing の海外看護師用のコースは合格率が30%程度でかなりストレスが強かったが、私は4年に1名程度しか入学する者がいないMental
Health Nurseのコースだったので受講生は私独り。そのため私が学びたい内容や弱点を補強するプログラムをセッティングしてもらうことができた。レクチャーの2/3はマンツーマンだった。
- UOWは、オーストラリアで8番目に大きい街と言われていたが、広ーい土地に30万人しか住んでおらず、シドニーにも車がなければ遠く、勉強するしかなかった。英語が殆ど出来ない私には、それは結果的に良かった。大学院のコースはその当時、オーストラリアに2つしかない公衆衛生学部の精神保健のコースで、少人数でアットホームだった。さらに、先生方が留学生に親切で、病院見学にいくつか連れて行ってくれた。また、課題もテーマは自分で絞れるので、自分の興味のあることを数多くさせてもらい、場の紹介もしてくれた。コースのコーディネーターが、シドニーで有名な人だったので、研究や研修のためにシドニー郊外の精神保健センターに訪問の連絡したとき、「ポールの所の学生ならいいよ。」と言われ、スムーズだった。皆、協力的だったことを覚えている。また、英語は留学生用の研修センターで無料でマンツーマンの先生にサポートしてもらった。これらの点が良かったと思う。
*この学校(大学)を選んで良くなかった点は何ですか?
- UOWの英語学校の最初の8週間は、オーストラリアに私が不適応状態だったことや、教員のレベルも様々で、同じ事の繰り返しで退屈だった。また、後半の12週間はアカデミックライティングについて主に学んだが、エッセイの組み立て方が大学と違い、画一的な教え方だった気がする。でもいい先生には恵まれた。
- 大学では一人厳しい講師がいて、かなり頑張ったレポートの点数がからく、そのコメントも納得いかず苦情を言ったが、結局取り合ってもらえなかった。英語研修センターの先生に相談しても「Always,teacher wins, student loses」と言われたが、先生もその講師のコメントは「Unclearでわかりにくい。」などと言って慰めてくれた。
- もう一つ、英語学校時代の友達が皆、大学院に行くなら、入学前に先生に会って希望の研究など相談した方がいいと言っていたので「そんなものか?」と看護学部に行ってみた。たまたまドアが開いていた研究室の先生に大学院の精神看護のことを聞くと、「そんなものないし、7月入学は認めてないのよ、だからだめ。」と冷たく言われた。台湾人の友人が看護学部の大学院に行っていたが「アジア系は差別されるから、他を当たってみて方がいいかも・・・」と言っていた。今は日本の看護師さん達が数多く留学しているのでそんなことはないと思うが、その当時は、その友人の言葉を信じた。が、結局英語コースの友人が7月に入学していた。
- NSW College of Nursing については強いて言えば、10週間のコースを半ば強制的に6週間に縮められたことに不満が残っている。これは
Mental Health Course の受講生が私独りだったこともあり、6週間のレクチャーを2週間に短縮するように何度もコース開始前に勧められた。でも私はお金を払って受講したし(すでに永住権を持っている人は無料)、入学のためのビザ取得にかなり苦労して4ヶ月もシドニーで待ったこともあり、どうしても10週間受けたかったが、だめだった。
*英語のサポートはどのくらい受けることができましたか?
- 上記の通り、大学時代に卒業した英語学校の元担任の先生からのサポートと、大学の留学生用の英語研修センターでのマンツーマンのレクチャーを受けることができた。英語学校の先生には、突然お願いに行ったのに、「これからも見てあげる」と言われ、コースワークの殆どのレポートの添削をしてもらった(期限の1週間前には仕上げないと見てもらえなかったが・・・)。留学生用の英語研修センターではたまたま担当してくれた先生が、その後も担当してくれたが、その先生は心理学の学位を持っており、精神保健の内容についても議論できたので◎だった!!
* 留学中、一番困ったことはなんですか?
- お金。大学は、私費留学生で貯金がすぐ底をついてしまった。残額をチェックしつつの生活が後半続いてうつになった。
- NSW College of Nursing 時代は、入学のためのビザがなかなか下りなかったこと。
- あとは英語。NSW College of Nursingでの勉強の後半の4週間は病院で実習をして、Safety
Practiceができることを証明しなければならなかったが、電話の対応時の英語に困った。いろんな電話が外部から入ってくるため、全く予想もつかない内容を言われると、メモして関係者に伝えてと言われても、英語には聞こえなかったことが何度かあった(電話の応対ができることもアセスメント項目の1つだった)。
*留学して一番良かったと思うことは何ですか?
- 文化の違いを体験できたこと。文化的背景の違いに起因する不理解をわかろうとする大切さと優しさをオージーから学んだ。
- 自分の考えを言葉で表現することの大切さを改めて実感できたこと。いろいろと事情があり、多分今後も日本で生活する事になると思うが、日本では「あ・うん」を美徳とする向きがある。でも言葉が苦手な精神障害者でも自分の感情に名前をつけ、思いを表現することが一番大切だと遅ればせながら痛感しているので、まず、伝えようとする姿勢が必要だったオーストラリアの生活の深さを感じている。
*卒業後、どうしましたか?
- UOW留学途中に経済的な事情で困って、元勤めていた日本の病院にお金を借りたため、修士の研究途中から日本に戻って働いた。でもやはりオーストラリアが恋しくなり、永住権取得とそれに必要なRN取得のために、1999年シドニーに戻った。でも、RN取得後、永住権取得を日本で待たねばならず、再度日本に戻った。日本の病院で働いていたが、家族の事情で今も日本で暮らしている。2000年11月に永住権を取得したが、オーストラリアに戻る予定は今のところない。現在は、日本の看護大学で教員として働いており、看護系の大学の博士課程に通っている。
*卒業後、オーストラリアでの勉強(経験)はいかされていますか?
- 生かされていると思う。「やればできる、何事も行動をおこせば道は開くんだ」というポリシーはオーストラリアで深く根づいた。
- 英語は時々使うが、オーストラリアの日本人との交流から翻訳をお願いすることも容易くなっています。
- 勉強に関しても、人権を重視した地域を基本とする精神保健サービスは日本のモデルとなっている。大学院で勉強したこと、実習中に学んだことを改めて記憶からひもといて理解を深め、今の仕事に役立てている。
- 英語は日々忘れていっている。それに、オーストラリアの看護(施設や病院)は日本に比べて密度が薄い気がする。日本の臨床経験3年とオーストラリアの3年では日本のほうがより学べる気がするのだが・・・・。この点は他の人の意見を聞いてみたい。家族の事情が、現在も日本にいる主な理由ではあるが、この印象が再々度の渡豪に踏み切れなかった理由の一つとなっている。
*これから、オーストラリアへ来たいという人へアドバイスがありましたらお願いします。
- 「行きたい」と思った時に行動を起こすこと。自ずと道は開ける。私は、ビザ取得までは、何度も涙したが、いろんな人が助けてくれ、他人の力を実感できた。
- オーストラリアでしんどくなってだめだと思ったら、素直に自分の気持ちに従うこと。一旦、日本に帰ってリセットすることは、その後の人生にも大切だと思う。それに日本に帰って落ち着いたせいか、日本にいる間に私の英語力は伸びた。
- しんどくなることは多分誰にでもあると思うが、無理をせず、日本語で愚痴を言えたり、長電話できる友人を複数作っていること。でもその人達に頼りすぎないこと。
*その他なんでも結構ですから、何かありましたら書き加えてください。
- 上記を読み返すときれい事ばかり書いているように感じるが、貧乏、差別、英語力の乏しさなどなど苦労は数知れずしていたと思う。テレビを盗まれたり、実習病院の患者さんにあからさまに差別用語でののしられたり、英語がわからなくてアシスタントをしていた時には、ナーシングホームの患者さんに罵倒されたり。「でも日本でも同じ事はあるしなぁ、なぜ、日本にいるのかなぁ。」と、自問自答している。
*RN取得希望の日本の看護師さんたちへのアドバイス
(自らの経験を基にして)
- NSW College of NursingでRNを取得するコースは、よほど英語力に自信のある人を除いて、オーストラリアの滞在期間の短い人には勧めない。そのコースに入学できてもアセスメントが非常に厳しいため、英語に自信のある人でもストレスでドロップアウトしていく人がたくさんいる。日本人で何人かそのコースでRNを取得した人を知っているが、皆、オーストラリア滞在期間が5年以上あり、英語にもオーストラリアの文化にもなじんでいる人たちだった。私の場合、修士で精神医学の知識を英語で得ていたこと、Mental
Health Course のアセスメントが内科・外科看護コース(General Nursing)のアセスメントよりも易しかったため、パスすることができた。ラッキーだった。
- オーストラリアや英語圏の大学で看護学位(学士の方、修士・博士には不利)を持たない人には、直接ANC(オーストラリアのRNの査定をする日本看護協会みたいな団体)でのRN査定はお勧めできない。ほぼ100%落とされる。働きたい州のRegistration
BoardでRN取得コースのある学校を確認することをお勧めする。
- オーストラリアのRN取得を希望する人は、大学の看護学部の Pre-Registration
コースをお勧めする。それが一番簡単で、1年間くらいでとれる。NSW州ではおそらくシドニー大学とニューキャッスル大学がこのコースを持っていると思う(2000年の時点の情報なので、どちらかの大学はでこのコースをなくしているか、留学生をこのコースに受け入れていない可能性もあり。大学のホームページなどで調べてみてください)。
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