オーストラリア看護留学・看護体験談特集

オーストラリア看護留学・看護体験談

Mattieの場合

ペンネーム:Mattie

Mattieは看護を勉強するために、または看護師になりたくて、オーストラリアへ来たわけではありません。

*留学・海外生活歴
  • 1986年にワーキングホリデーでニュージーランド(NZ)に9ヶ月
  • 1997年、NZからそのままオーストラリアに来て10ヶ月(日本で両方のワーキングホリデービザを取ってきた)NZ滞在中、プライベート病院で臨時職の看護助手を短期間経験。
  • オーストラリア滞在中、ホスピスでボランティア・Nursing Homeで看護助手として働く。
  • 1991年より永住権を取って移住、現在に至る。
*英語の勉強歴
日本にて
  • 日本で最初に働いた病院の院長がアメリカ留学の経験があり、知り合いのアメリカ人の先生を呼んで週に1回、病院で英会話教室を始めた。私は英会話が苦手だし夜勤が入ってどうせ行けないのだからとずっと参加していなかった。しかし友人の強い勧めでいやいや行き始めた。そのうち看護師で参加するのは私1人になってしまった。参加できるのは、月に1〜2回だけだった。1年程続けた。
  • 区役所の格安の英会話教室に(週1回で4回だったと思う)にも行った。そこで会った人から、オーストラリアはワーキングホリデーで行けるという情報を聞き、真剣に行こうと考え始め、市の図書館へ英会話テープを聴きに行ったり、基礎英語や続基礎英語を寝ぼけ頭で聞いていたが、身につくようなものではなかった。
NZ・オーストラリアにて
  • オーストラリアの英語学校は日本人が多く、教室に「日本語を話さないように」という壁紙が貼ってあるくらいだと聞いていたので入学しようとは思わなかった。
  • ニュージーランド滞在の後半で、公立の英語学校に格安で行けると知り、初めて英語学校に8週間ほど行った。(Politics in Christchurch)(午前中だけの授業だった)
  • オーストラリアでは、新聞に出ているユースのための老人介護コース(1週間尾老人ホーム実習があった)や医学用語のコース、赤十字の救急看護コースなどに参加した。(昔は格安でこのようなコースに誰でも参加できた。何のビザで滞在しているのかなどと聞かれることもなかった。
  • 移民してきて看護学部入学後、初めて正式な英語学校入学し、English for Health Professionalsというコースで半年勉強。CALUSA−Centre for Applied Linguistics in the University of South Australia(Adelaide)中国やベトナムから移民してきたDR, アラブから来た歯科医、スウェーデンの助産婦、日本の薬剤師など、さまざまな職種の人がいて、先生もすばらしくいいコースだった。
*看護の勉強
  • 1991年7月〜1992年6月:Flinders University of South Australia (Adelaide):Diploma of Nursing
  • 1995年3月〜1996年11月:Flinders University of South Australia Adelaide):Bachelor of Nursing
  • 1998年3月〜2001年11月 (1年半の休学期間を含む):Flinders University of South Australia (Adelaide):Master of Nursing
*なぜオーストラリアを選びましたか?
  • アメリカには興味がなかったが、英語を話す国に住んで英語を学んでみたかった。(高校卒業後、留学するのが夢だったが、経済的に不可能だった。)
  • ワーキングホリデーがあったから。
*卒業後、取れた資格
  • Diploma of Nursing
  • Registered Nurse(RN = 正看護師)として登録。
Mattieの裏話 1
RNとして登録はしても、正看護師として働く自信は「ゼロ」だった。大学は一生懸命文献を読んで何時間もかけてレポートを書けば卒業できる。英語に自信がないため、Enrolled Nurse(EN)(日本でいう準看護師に似た資格)として再登録し、ENとしては働き始めた。

SAの看護省でENとして働いていても緊急時にはRNの責任を取らなければならないという書類にサインをしなければならなかった。1年後にRNとして働き始めたが、ENの資格も長い間持ち続けた。しかし、1990年の終わりに、どちらか1つを選ばなければならないと法律が変わり、ENの資格はなくなった。病院で色々なナースにあったが、オーストラリア人で英語を普通に話すナースでもRNの責任を取る自信がないからと、勉強を終えてからENとして働いているという人に会って驚いた。

*なぜこの学校を選びましたか?
  • 移住してきて、移民のための英語学校へ面接に行き、看護師だといったらこの学校を薦められた。当時、外国人看護婦のために特別な橋渡しのコースがあるのはここだけで、他州から勉強に来ている人もいた。
  • オーストラリアではこの頃(今は変わったかもしれない)アメリカ・カナダ・イギリスの看護婦のみ、入国してすぐその資格が認められ、看護婦登録をして働くことができた。インドやシンガポールなど自国で英語で看護を学んだ人でもこのコースを終えなけれべ看護師登録できず働けなかった。
  • 悔しかったのは、私がこのコースを終えた2年後に、全く同じコースなのに、Diploma(日本の短大卒のような資格)からDegree(学位)が取れるようになったことだった。
  • 看護婦になることは不可能だと思って移民してきたので(ワーキングホリデーの経験で英語の壁を痛切に感じていたため)、日本で看護の本はすべて処分してきた。もっと英語が学べればという気持ちで入学した。
*どのように留学手続きをしましたか?
  • ワーキングホリデーのビザの取得など、すべて個人で大使館に連絡を取って行なった。
  • 大学入学に関しては、パースのひまわりさんのような面倒な書類は必要なく、日本の看護学校の英語の成績証券書をSouth Australiaの Nursing Board(看護省)へ提出して許可をもらい、それからFlinders Universityで英語の試験を受けた。
  • 厚生省で英文にしてもらった看護師・保健師の免許は、当時のオーストラリアでは何の効力もなく、提出してもただの紙切れに過ぎなかった。
Mattieの裏話 2
私が入学した1991年頃、大学の英語の試験はかなり適当だった。古いテープレコーダーに申し送りが録音してあり、(すごく聞きにくくて半分もわからなかった)それを聞いて質問用紙に答え、その後、英語の先生と看護コースのコーディネーターとの面接だった。

Nursing Board (看護省)でようやくOKが出て、もう入学は許可されたものと思い、大学へ連絡すると、簡単な面接があるから来るようにいわれ、軽い気持ちで出かけた。そしたら、それは入学試験で、他にポーランドから3人、ハンガリーから1人が試験を受けにきていた。彼女たちは一度試験に落ち再挑戦だということだった。

全員自国語の英語の辞書を持ってきており、辞書持ちこみが可能な試験だった。「そんなばかな・・・」かろうじて筆記用具だけは持っていたが、面接としか聞いてないため辞書など持っていなかった。試験が始まると、先生はテープレコーダーをセットして出ていってしまった。するとポーランド人の3人は歩き回ってお互いの答えを確認しあい、わからないところは私にまで聞いてくるという有り様で、「これが試験か???」とまたショックを受けた。

バカらしくなって、最後の質問の「あなたの国とオーストラリアの違いについて述べなさい。」という質問に、ほんの数行しか書かなかったら、それはWritingを見る質問だったようで、英語の先生はあきれた顔をし、入学は無理だと言った。しかし、看護のコーディネーターの先生がかばってくれ、再度書き直す時間をくれた。最終的には「苦労しますよ。やめたほうがいいのでは・・・」という英語の先生に、看護の先生が「やらせてあげよう」と好意的で、何とか入学を許可された。

*この学校(大学)を選んで良かった点は何ですか?
  • 日本で看護の小さなコースに参加したことがあったが、全くつまらなくわかりにくかった。ところがFlinders大学での勉強は何もかもが面白く、夢中になって勉強した。
  • ずっとホスピスに興味があり、選択科目のほとんどは緩和ケアに関するものを選んだが、日本ではタブーで告げない・話さないという中で、欧米では末期の患者さんからコンセントを取ってリサーチに参加してもらいその気持ちを理解しようとしていて、すばらしいと思った。カルチャーショックでもあった。
  • 日本では、看護教員はDRか看護の実践から離れた人が教えていることが多いが、オーストラリアでは看護実践を長く続け、その経験に基づいてリサーチに取り組んでいる人が教員をしており、どの話も興味深く面白かった。
*この学校(大学)を選んで良くなかった点は何ですか?
  • Diploma (日本で言う短大卒業のような資格)を取り働き始め、その後は仕事を続けながら、学士・修士と進んだ。ずっと同じ大学で勉強しているとだんだん悪いところも見えてくる。
  • 例えば、学士の勉強中、とても自分にとっては難しい課題があり、どのようにまとめていいのかわからず講師のところへ質問に行くと、その講師は自分も修士を勉強中で忙しいからとほとんど身になるアドバイスをくれず、時計に目をやっていかにも早く帰ってほしいという態度だった。
途方にくれ、当時、同じ病院の婦人科婦長(男性であったが)で修士を勉強中のマイクに頼んで見てもらった。しかし、その課題は私の大学生活の中で最低の点をつけられた。学生は、点数に不満があれば講師に苦情をいうことが許されるが、ただでさえ難しく、自信のない教科で、英語で抗議に行くなどとてもできなかった。この授業は2人の講師がいて、生徒を2つに分けて評価していた。もう1人の先生に再評価してほしいと頼もうかとも思ったが、勇気がなくできなかった。 マイクは私に「かなりいい点取れただろう?」聞いてきたくらいだから、内容はそんなに悪くなかったのでは?と思うがもう後の祭り。講師の私情が入っていたように思えて、今、振り返っても、やはり、この課題は抗議に行くべきだったと思う。また、修士の時は大学の講師に失望し、勉強がいやになり1年間休学した。(それだけが理由ではないが・・・)詳しいことは、後でエピソードとして書きたい。

Mattieからのアドバイス
納得できないときは、誰かに相談し、講師に話すようにしたほうがよい。
私は留学生として入学したのではないため、英語のサポートを受けられるとは思わなかった。しかし、オーストラリア人でも大学のレポートや論文を書くのは難しく、誰でもサポートを受けられるということを、大学院在学中に知り、それからはレポート提出前にアドバイスをもらったり、英語も直してもらい大変助かった。

*卒業後、どうしましたか?
  • その後のMattieのことはホームページで垣間見てください。
*これから、オーストラリアへ来たいという人へアドバイスがありま したらお願いします。
  • まず、海外で勉強しようという方、安易に「〜について教えてください。」というメールは送らないでください。本気で勉強するつもりなら。自分でインターネットや大使館に問い合わせてできるだけ調べ、その上で細かなアドバイスがほしい時、ご連絡ください。
  • 英語の壁は思った以上に大きいです。しっかり、覚悟してきてください。「叩けよ、されば開かれん」何も行動しなければ何も起こりません。何もしないで後悔するより何かして失敗したほうがいい・・・。


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