高齢者ケア特集(17)

大往生

2004年10月

92歳のジェリーがホスピスに入院してきた。胃ガンを患って6年になる。88歳の奥さんが看病に疲れきり、もう家でジェリーの面倒を見るのは難しいと言っており、今回の入院を機会に老人ホームへの転送を考えようということだった。

92歳の末期ガンとなるとかなり衰弱しているんだろうと思ったが、初めて会ったジェリーは、軽い介助で歩行器でトイレまで歩くことができるし、少量のやわらかい食事を自分でゆっくりと食べることもできた。小柄で日本人の痩せ型のおじいさんという感じ、頭もしっかりしていて、とても92歳には見えなかった。薬剤師で街の中心のデパートで薬局を経営していたというビジネスマンだった。「へぇ〜、あのJデパートで薬局を経営していたなんですごい!大金持ちだ!」と心の中で思った。ジェリーはとても丁寧なジェントルマンで一つ一つの小さなケアにきちんと感謝の言葉をかけてくれた。


次の申し送りで、ジェリーが老人ホームには行きたくないといっている、これからどう対応したら良いか考え中だと伝えられた。老人ホームへ行くことを望む人は誰もいない。特に高齢の人は昔の質の悪い老人ホームの印象を強く持っており、「絶対にいきたくない!」という人も過去に何人も見かけた。

確かに1980年代のオーストラリアの高齢者施設は基準がしっかりしてなく、褥創を作る人もたくさんいて、あまり良くなかったらしい。しかし、連邦政府が人口の高齢化に伴い、着実に制度を改正して基準を高めていき、ここ10年くらいでめざましく改良されている。しかし、実際に病院で一緒に働いているナースや患者さん、その家族は皆、実際に老人ホームを見たことがなく、一律に悪い印象を持っているようだ。


3人に1人がガンに罹患する時代になり、その率は高齢になるほど高くなる。一般に若い人のガンは進行が早く急速に悪化するケースがたくさんあるが、高齢者の場合、進行がゆっくりで症状も軽く慢性疾患の一つとしてガンと共存していく人をたくさん見かける。このような高齢者は高齢者施設へ行ったほうがずっと楽しい生活を送れると思うのだ。 高齢者施設では、様々なアクテビティを数多く計画しており、病院の個室でテレビもつけずボーっとして寂しく過ごすより、高齢者に様々な刺激与えてずっといいと思う。

私は日本から来る医療従事者の方々と何度もアデレードの高齢者施設を訪問しているが、ここ数年、訪問している高齢者施設は、いつ行っても感心してしまう。前もって日本のゲストから興味のあること、学びたいことについて大まかな連絡をいれておき、資料などの準備をしていただいているが、後はぶっつけ本番で訪問して、施設を見学させてもらい、様々な質問をしていく。 驚くのは何を聞いても的確な答えが返ってきて、そのケアについてしっかりしたケア手順や基準ができていることだ。


高齢者施設の管理者として働いている友人のアマンダの話によると、施設の監査の基準はかなり厳しい。日本で働いていた時、監査が入ることがわかると前もって見せるカルテを選んでおき、それらのカルテだけしっかり記入して準備した記憶がある。(今はどうなったか知らないが・・・・。)

オーストラリアでは監査の人は、まず、高齢者の過ごしているリビングルームに行き、抜打ちで高齢者を選んで話を聞き、次にその人のケアプランを見せてと言うので、全員のケアプランをしっかり立てて実践・評価されていなければならないという。そして政府の出した高齢者ケアに対する基準項目は、かなり細かく多項目に分かれており、身体的ケアだけでなく環境、プライバシーの保護やQuality of Lifeにいたる一つ一つについて、個々の高齢者に合ったケアプランを立てて実践していることを証明しなくては、監査に通らないのだ。この話を聞いたときは驚いた。病院やホスピスでもそこまではやっていない。そして、高齢者ケアのレベルが上がらざる得ない状況にあると感じた。もちろん、数多くある施設の質はピンからキリまであり、私はアデレードでも最高のケアをしている施設しか見ていないのかもしれないが・・・。

だから、私はジェリーのように状態が安定している高齢の患者さんは、いい施設を探して行った方がいいと思う。実際に施設に行ったら思った以上に環境が良くて楽しい・・という発見につながるのではないかと思うのだ。しかし、いい高齢者施設はいつもベッド待ちの状態で、すぐに入れるとは限らず、そのベッドを待つためにもっと質の低い施設へ行かなければならないことも多々あるらしい。


さて、翌日も準夜でジェリーを受け持った。夕食はブラックコーヒーにお砂糖2つだけでいいといい、後から行ってみると、「おいしかったよ。」と、半分飲み残したカップがオーバーテーブルに置かれていた。就寝前に背中を拭いて床ずれ防止のためクリームでマーッサージをするとジェリーは「ありがとう。」といって、午後8時ころ就寝についた。

休み明けで勤務へでるとジェリーのいた部屋が空いていた。記録を見ると、ジェリーは私が準夜でケアした翌日に亡くなっていた。 あの夜、ジェリーを看ながら、こんなに状態が安定しているなら、まだまだ長生きできるだろうし老人ホームへ行くしかないだろうな〜と思っていた。コーヒーを味わって飲んで、翌日ポックリと亡くなるんて全く予想しなかった。確かに家で亡くなることができなかったのは残念かもしれないが、高齢の奥さんがパニックになったろうことを思うと、ホスピスで92歳で、最後まで食べたり飲んだりできて、頭もしかっりしたまま、苦しまずに逝けるなんて、これは「大往生」と呼んでもいいよな〜と思わずにはいられなかった。


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