ホスピス・緩和ケア特集(6)

寿    命 No2

2005年5月

10号室にいる83歳のジャンは、末期の肝臓ガンでホスピスに入院してきた。茶色のショートヘアで小柄なジャンは、皮膚が肝臓ガン特有のぶす黒い茶色に変色していた。入院当初は介助でトイレまで歩くことができ、日中は椅子に座って過ごすこともできたが、状態は急速に進行した。意識が朦朧状態となり、立ち上がるとフラツキがひどく危険だった。転倒防止のため、ベッド柵をして、ベッドサイドの両脇にアラームを設置して、一人でベッドから起き出そうとするときは、ナースがすぐ気づくようにした。しかし、ジャンの部屋は一番奥の大きな二人部屋で、反対側の廊下にいるとアラームが聞こえにくかった。ちょうどそのころ、ナースステーションのすぐ横の個室に空きが出て、ジャンはそこに移った。


ジャンのとなりの11号室には88歳のルーシーが、10日ほど前から、乳がんの末期で入院してきていた。金髪のセミロングのヘアで身長が178cmはあるルーシーは痩せた手足が長いのが目立った。元気な時の写真が飾ってあったが、昔もかなりスマートな人だった。ルーシーも食欲が落ち、眠っていることが多くなってきた。毎日、面会に来ていた娘さんは、ルーシーの一挙一動に動揺し、ナースステーションに報告に来ていた。

私はジャンがまだ入院したてで動けるころ、一度だけ受け持ったことがあったが、その後はしばらく看ていなかったし、ルーシーは一度もケアしたことがなかった。休み明けの準夜勤務で、10号室と11号室を受け持つことになった。この時は、ジャンもルーシーも昏睡状態で、時々手足を動かしたり、荒い息をすると鎮痛薬と鎮静剤の皮下注射をし、安楽に過ごせるよう援助することがケアの中心だった。


11号室のルーシーは、この日の朝、呼吸が乱れてきて、看護歴25年のベテランナースのローズが、「これは危ない」と思い、朝の5時に家族に連絡してすぐ来るようにと伝えたということだった。ところがルーシーは、その後、また呼吸が規則的になり、持ち直したのだった。ローズが翌日、勤務に出てきてルーシーが持ち直したと聞いて「信じられないわ!」と驚いていた。

10号室のジャンも、昏睡状態でかなり状態が悪かった。肝臓障害で失血傾向にあり、口から時々、ぶす黒い血液ようのものを垂れ流し、口腔ケアをしても口臭が取りきれなかった。

ルーシーの家族もジャンの家族もできるなら最期に立ち会いたいと、毎日、かなり長い時間、ベッドサイドについていた。二人とも、看護している私たちでさえ驚くほど、また一日、また一日と生き続けた。こんな状態でどうして生存できるのだろう・・・?と思うくらい、二人とも衰弱していた。前にも言ったと思うが、ホスピスでは、必要のない点滴はしないので、この2人は水分を取らなくなって1週間は過ぎていた。


10号室のジャンが息を引き取ったと聞いたのは、それから2日後、そして11号室のルーシーが息を引き取ったのは、その翌日だった。ホスピスでたくさんの死を経験すればするほど、最期の予測は本当にできない・・と感じる。もちろん、皆、最後には亡くなっていくわけで、「危ないな・・?」、日本で言う「今晩が峠です。」という期間はいくら長くても数日から1週間くらいだが、昏睡状態で何も口にすることができず、あとは死を待つだけとなった家族には一日一日がとても長く感じられる。疲れきってしまっている家族もよく見かける。

現代医療は、延命することに関してはかなり進んでいる。昇圧剤や人工呼吸器、人工透析などあらゆる技術を使えば、ジャンやルーシーはもっと長く生存できただろう。そして、この二人が一般病棟でケアされていたらたぶん最後まで点滴に縛り付けられ、安楽を目的の薬ではなく、何らかの治療薬が投与されていただろう。しかしQuality of lifeを考えた時、私は二人がホスピスで死を迎えることができて、幸運だったと心から思う。そしてその人個人個人の寿命は神のみが知る・・としか言いようがないように感じる。


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